カラン

MEN 同じ顔の男たちのカランのレビュー・感想・評価

MEN 同じ顔の男たち(2022年製作の映画)
3.5
旦那の死に自責の念を抱いた女(ジェシー・バックリー)が、田舎の屋敷での1人旅行で、ある男に悪夢的に出会い続ける。


『エクスマキナ』(2015)のアレックス・ガーランドが監督、脚本であり、彼はSONYのデジカメで撮るロブ・ハーディ(Rob Hardy)というカメラマンと常に組む。本作はそういう彼らがA24と作ったサイコホラー。『エクスマキナ』ほどには売れなかったみたい。このコンビのデジタル撮影はなんだか、自分らの映画の世界にフィットしている気がする。どういうこだわりなんだろう、今どき珍しくSONYのカメラを使い続けている模様。なかなか良いよね。


☆ロニー・キニアの一人多役

自分の旦那がマンションの自室のバルコニーの前を落下していく。それは自分の責任なのか?1人、田舎にやって来て、慰安旅行を決め込もうとすると、大家の男→不審者→精神遅滞の少年→神父と、1人の男がメタモルフォーズする。変身男は足が折れており、手も裂けているが、これは墜落した旦那の足が折れていて、手が裂けていたので、変身男=死んだ旦那となる。

うーん。アルトマンの『イメージズ』(1972)とクローネンバーグの『戦慄の絆』(1988)なんだろうねー。この2作とも、変身男=墜落夫ですみたいな、自分の映像を映画内で説明するような反-映画的な真似は絶対にしないが。説明しないと予算もらえなかったのかな、アレックス・ガーランドは。テレビって、一々さ、記号だらけのフリップやテロップが煩いから見ないのだが、説明ばかり。全てを、言い換えて説明してもらわないと分からない人がいて、民主主義と資本主義を混同した「万人受けするべし」という放送コードができあがり、その結果、映画制作も映画鑑賞も損なわれているのかもしれない。


☆ジェシー・バックリーの「ファック」

主演の女優さんは、傷心なのでメイクは薄い。ファッションもいい。何より美人すぎないのがいい。しかし、やたらとファックと言う。この女はもう我慢がならないのだ。耐えられないと感じているからだろう。そういう役柄なのであろう。このような演出はマーケティングの結果なのかもしれない、「疲れている女性たちに贈る」的な。

しかしである。自分の置かれた悪魔的な状況をそんなに簡単にことあるごとに説明してたら、映画的な深みはなくなる。「ファック」というのが下品で不道徳だということを言っているのではない。そうではなく、この映画がどれほどに頑張って悪魔的形象を作り上げようとも、一々の「ファック」という反応はアクションを説明する機能を担ってしまい、劇中での出来事を「ファック」という概念にまとめてしまうことになると言っているのである。つまり、映画的アクションが、映画的では決してない概念的で抽象的なものになってしまうのである。こういうのを映画における「説明」というのである。

最後。友達が来たところ。あの言葉を失くしているショットのほうがいくらか風合いがいいでしょう?女が「ファック」を連発するのはフェミニズム的には気持ちがいいのかもしれないが、監督も脚本もアレックス・ガーランドなので、文字通り、天に向かって唾するたぐい、というやつなのである。どうしても「ファック」と言いたいなら、『フロリダプロジェクト』(2017)のように「ファック」をちゃんと映画にするべきなのである。

ガーランド氏は今のところ映画のセンスはない。相方のハーディ氏のほうが興味深い。

レンタルDVD。





追記

書くの忘れてた。トンネルはなかなか良かったですな。本作で1番良い。黒澤明の『夢』とかさ、鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』とかさ、ウィーラセータクンの『ブンミおじさんの森』とか『メモリア』ほどではないのだけれど。結構難しいんだろうね。宮崎駿の『千と千尋の神隠し』は、それほどの出来でもないもんね。トンネルがだよ。

トンネルは異界の通路。鹿の死体の眼窩に綿毛みたいのが入っていくショットあったでしょう。教会に設置されていた石像の女陰の開口部も強調されてたし、ジェシー・バックリーの綿毛を吸い込む開いた口とかさ。穴、穴、穴。穴の表象を反復しているわけ。で、しまいにその穴は変身男が単為生殖する穴になるってわけだ。この監督さんは順接で繋げるから、イメージが弱くなる。今回のトンネルくらいに、他のイメージに繋がらないように単独でショットを構成した方が、異常さが増すのにな。
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