ずどこんちょ

非常宣言のずどこんちょのレビュー・感想・評価

非常宣言(2020年製作の映画)
3.8
仁川空港発、ホノルル行きの国際便機内でバイオテロが発生。密室の空間で緊迫した大事件が発生します。
韓国発のパニックサスペンス映画です。ソン・ガンホ、イ・ビョンホンと出演者も豪華で見応えがあります。
ソン・ガンホは地上で犯人が隠している動機や事件解明を探る刑事、イ・ビョンホンは機内のパニックに対応する伝説のパイロットです。

密室空間のウイルス感染と言えば、我々も今もまだ直近で危惧する恐怖です。あの頃は飛行機もエレベーターもやはりちょっと気を遣いました。
それが死に直結するウイルスなら尚更。
コロナ後の今だからこそ、多くの人たちにその恐ろしさが通じるパニック作品だったと思います。

前半はとにかく機内でウイルスが蔓延するまでのスリリングな展開が描かれます。
犯人の男は脇の下に傷を作ってその中へウイルス入りのカプセルを仕込むことで保安検査場を通過します。手口がエグい。エグいからこそリアルです。

この男、一見すると普通の若い好青年といった感じなのですが、冒頭の搭乗カウンターでのスタッフへの対応から、人を見下した態度が見え隠れします。
自分は優秀な人間で、すべての愚かな人間たちを見下しているといった感じです。
自分が感染して死ぬことを覚悟した上でこれだけのバイオテロを起こしているのですから、相当な動機があるはずです。家族が航空会社に殺されたとか、自死に追い込まれたとか。
ところがそうではなく、ただ単純に飛行機をウイルスの実験場にすることで鬱積した自身の不遇感を晴らそうとしただけだったのです。

徹頭徹尾、クズ野郎でした。
要するに人間を実験用マウスとしてしか見ていないわけです。自分も含めて「この世界の人間はみんな死んじゃえばいい」的な破滅型の人間です。
ところが、世の中にはそういった危険思想に追い込まれた人間も一定数いるようで、そんな無差別な動機によって巻き込まれるからテロや犯罪行為は理不尽なものなのだと痛感します。

粉末状にしたウイルスをトイレで散布した犯人。ウイルスはあっという間に機内にいた乗客へと感染し、乗務員を通じてコックピットにいる機長らへも感染していきます。
男は秘密裏にウイルスの発症スピードを早くする実験を繰り返しており、既にこのウイルスの感染力と発症力は脅威的な威力となっていたのです。

やがて地上での捜査を担当していたク・イノ刑事らの活躍によって男の素性やウイルスの正体が判明。
次第にニュースに取り上げられるようになって機内にいる乗客も、今機内で何が起きているのかを知ることとなるのです。
ウイルス感染が広がっていくと同時に、前半部分では操縦不能となった飛行機が猛スピードで落下していくシーンもあり、身体ごと投げ出される乗務員や恐怖に怯える乗客たちの悲鳴が恐ろしい壮絶な墜落シーンもありました。
飛行機が苦手な人はこのシーンも含めて見るべきではないと断言しておきます。

感染した機体はハワイで着陸許可が下りずに引き返すこととなり、死者を増やしながら泣く泣自国へと戻ります。
国土交通大臣の説得によって、ようやく主犯の男がかつて勤めていた会社で隠匿されていたウイルスのワクチンを手に入れたにも関わらず、各国は非協力的なのです。
着陸後すぐに治療を受けられると望みを抱いていた乗客たちは絶望感に包まれます。
窓から差し込む夕陽の光が、眩しいけれどもとても寂しいです。

帰還中の飛行機ではキャプテンが死亡し、副操縦士も感染。
副操縦士によってこれ以上の航空は不能と判断されるも、日本への緊急着陸も容認されません。自衛隊が出動して威嚇射撃まで行われます。
たとえワクチンが見つかったとは言え、どこの国も変異した可能性のある未知のウイルスに慎重なのです。

政治家の会見を聞いて非人道的と思われるかもしれませんが、韓国の国土交通大臣も「日本の主張も分かる」と言うように、変異したウイルスにワクチンの効果があるかどうかは不明で、いわばこの機体が着陸するためには致死率の高いウイルスそのものを受け入れる覚悟が必要なのです。

そのため、自国の韓国でも着陸に対して賛否が分かれます。むしろ、否定派が優勢になるほどです。反対派のデモ行進がソウル空港で行われ、飛行機は自国へ戻っても着陸許可が下りません。
他国へ行っても、自国へ戻っても、機内の乗客たちを見る目は決して温かいものではなかったのです。

ウイルステロの主犯であったリュ・ジンソクはとっくに感染して死んでいます。絶対的な悪人はこの男であるはずです。それは間違いない。
しかし、機内にいる乗客乗務員は感染している可能性の高い自分たちが、他の人にウイルス感染させることへの罪悪感を感じ始めます。

ウイルスの恐ろしさは、感染した人間がその瞬間から自分自身が静かな時限爆弾となり、他の人間に生命の危機を与える可能性があるということだと思います。
大切な家族や愛する人を危険に晒す可能性が高い。コロナ禍で陽性になって家族に移すまいと自宅で隔離生活をしたことのある人なら、きっと分かるのではないでしょうか。
ならばいっそのこと、自分たちでこのウイルスを封じ込めてしまおうと。機内の乗客たちは地上にいる家族たちへ別れの電話をかけ始めます。とても辛いシーンです。

本作で描きたいのは、やはりそこだと思います。ウイルス感染を描いたパニックシーンも緊迫感があって良いのですが、抗ウイルス剤の効果が未確認の間、命の選択を迫られた国民と機内の乗客たちの複雑な心理描写です。
保身のために自分たちの命を守るのか、それとも自分たちのリスクを受け入れて別の誰かの命を守るのか。
究極の選択を迫られた時、人は何を大事に選択するのか。
自己犠牲の精神が尊いわけではなく、大切な人を守るために最良の選択を受け入れるまでの、人間の判断が尊いのです。
それはゲージに入れられた実験用マウスの感染とはまったく質が違います。違うのです。

韓国中がKI501便の覚悟と別れの言葉を聞いて静かな沈黙に包まれる中、地上でウイルス感染していたク・イノ刑事がワクチンの効果によって意識を取り戻します。
ワクチンには効果がある。それはまだ確かな保証ではありませんが、大臣はそこに一縷の望みを見出し、着陸許可を要請するのです。

その後の燃料問題で墜落の危機については
もうスリルはお腹いっぱいといった感じでしたが、まぁ映画の最後だから盛り上げたいのは仕方ありません。
それにそれは過去にトラウマを抱えたパク・ジェヒョクの闘いでもありました。

2020年にコロナが蔓延したあの時、どこかで同じように命の選択を迫られた人がいたかもしれません。
飛行機という大きな舞台ではないにしろ、家庭内や病院内で家族と「会わない」という選択をして息を引き取った人もいたのではないでしょうか。
もちろん、その選択が絶対的正義だとは思いません。しかし、その判断に至るまでの決意と思惑は尊いものだったと感じます。
きっと自分よりも大切な何かを守ろうとした故の選択だったと思うからです。

本作で描かれる人間の思慮の深さに心が震えました。