YasujiOshiba

100人の子供たちが列車を待っているのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

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GK大学の講師控え室で回ってきた。いやはや、いろいろ考えさせてくれるし、じつに面白かった。

映画教室のアイデア自体は、じつはイタリアのファシズム時代には、教区教会の娯楽施設として教会併設の映画館や、あるいはドーラヴォーロ(労働余暇活動の映画館)が各地に作られたことを思い出す。けれども、時代と舞台は1980年代末のチリだから、イタリアからすると時差が40年前ぐらいある。

さすがにそれぐらい時差があるから、教会併設映画館はイタリアのものとはじういぶんちがっている。典型的なそれは、トルナトーレの『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)で描かれたものだが、基本的には大衆に娯楽を提供し、風紀を乱すシーンは該当箇所をハサミでちょきんと切るというもの。

ところが、この映画で描かれる教会の映画教育活動はちがう。対象は子供たちで、大人ではない。だから娯楽ではなく、教育なんだよね。そして、少しばかり図式的な教育ではるのだけれど、そういうものを教わったことのない子供たちの、好奇心に満ちた豊かな表情がこのドキュメンタリーの要なのだろう。

おもしろいのは、回転のぞき絵、あるいはゾートロープから立ち上げて、ミッキーマウスやチャップリンのような「運動イメージ」の代表的な映画への流れから、当時の地理の反政府活動のドキュメンタリー映像や、タヴィアーニ兄弟の『パードレ・パドローネ』などの映画が用いられなかで、子供たちがリアルとフェイクの間をさまようように表情を見せるところ。それこそは映画のモダニズムのなかに立ち上がる「時間イメージ」なんだよね。

そして、この映画そのものが、このチリの1980年代末の子どもたちが、みずからの「時間」を獲得してゆくべき余韻を捉えようとしているところが、じつにじつに、見所だと思う。

だってさ、子どもっていうのは、まさに「運動」のなかから「時間」を立ち上げてゆけるように、助けてあげないとならない、まだまだか弱い、ぼくらの未来にほかならない。

そうじゃないかな。
YasujiOshiba

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