グラビティボルト

ノック 終末の訪問者のグラビティボルトのレビュー・感想・評価

ノック 終末の訪問者(2023年製作の映画)
3.8
急に大男が訪ねてきて「お願いですから死んで下さい」と懇願される。
この無茶な作劇に賭ける事の出来るシャマラン、本当にイカしてる。そして残酷だ。
映画とは、勝手に歩み寄って来て、勝手に話し掛けてきて、勝手な理由で死んで行く人々をただ椅子に座りながら眺めるしかない。そういう表現媒体なのだ。
劇場で流れたら止められない映画館での鑑賞体験にフィットした理不尽な傑作だと思う。

「訪問者」が一人死ぬ度に世界の終末の一端をテレビで確認するシーンが何度も出て来るんだけど、これも「画面の中に映る悲劇に対して何も出来ない」という観客の立場と重なる場面になっている。
最初の津波の様子のショット、ニキ・アブナカードのリモコンを操作する手がまるで映像内の手みたいにフレームインする場面は、シネスコの画角を意識しつつ心霊的な味わいがあり、忘れ難い。

現在と回想を行き来する構成をとっている。
両者共に見つめ合う恋人同士のショットが散見されるが、回想は二人の内側切り返しが多用され、現在では外側、パンフォーカスによる心的距離の視覚化が行われているのも残酷。
片や多数派にかつて傷付けられ、怒りと冷静の狭間で揺れており、片や謎の訪問者が語る「ビジョン」を光から共有し始めている。

この二者の心理的なズレが解消されないまま、ラストの決断まで突っ走ってしまう話になっている辺りは、確かに非難を浴びかねない唐突さだと思うが、たとえ恋人同士であったとしてもその内面を完璧に推し量る事は出来ないという描写にも見え、むしろ内心の自由を大事にしているからこその決定的なすれ違いなんだなと。
次々と雷が落ちてくる終盤、ようやく二人が真正面から見つめ合うんだけど、片や重大な決断を済ませていて取り残される側の声が全く届かない。
この終盤の痛々しさが俺には響いてしまった。

ラストショット、大事な人を失い、失意の底にあったとしても車のエンジンを掛ければ無遠慮に思い出の曲が流れてくるし、終わるかと思った世界には陽が射し込んでくるし、残された者同士で抱き合う事もない。
ただ、誰にも共有出来ない傷を抱えた者達が去っていく。
それをただ眺める事しか出来ない、映画らしい映画。
この一方的な、味わい深い理不尽さは映画館でないとかなり目減りすると思う。
やたらと理不尽故に酷評もやむ無しなのはわかるが、断固支持。
精神的なケアを大事にするこの時代で
「傷」を捉えてしまうシャマランの危うさからは目が離せない。