ちぇり

エゴイストのちぇりのネタバレレビュー・内容・結末

エゴイスト(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

これは普遍的な愛の物語などでは無い。日本における現行の社会システムから弾かれた人々の、愛と弔いの物語。
主人公の浩輔は、千葉の田舎でいじめを受けながら、自分のセクシュアリティを隠して生きてきた。そんな彼にとってブランド物を身に纏うことは外部から自分を守る鎧を意味し、東京でファッション系の編集の職につき、他の性的マイノリティの仲間たちとたまに飲み会を開きながら充実した日々を送っていた。浩輔は幼い頃に母を亡くし、田舎の抑圧された環境で生きてきたという過去はあるものの、現在は東京という都会でそれなりの暮らしができるくらいの経済的強者として自由気ままに暮らしていた。
一方の龍太は、幼い頃に親が離婚してから、病気がちな母を支えるために高校を中退し16から売り専(いわゆるゲイの風俗)としてお金を稼いできた。それでも都会で自分と母を養って暮らしていくには足りず、貧しい環境で暮らしてきた。それ故に、パーソナルトレーナーや運動についてもっと学んで職にしたいという夢もまだ叶えられないまま暮らしていた。
作中で浩輔の年齢は(確か)明言されていないが、おそらく龍太とは多少の年の差もあり、生きてきた年齢だけでなく、周囲の環境や経済環境など2人にはいくつかの違いがある。それでも浩輔は純粋無垢な笑顔を向ける龍太に惹かれ、龍太もまた浩輔を魅力的な人だという。
物語の序盤(龍太が売りをしていることを告白する前)は浩輔と龍太の性行為のシーンが何度か描かれ、精神的な連携よりもむしろ肉体的な繋がりが強調された。ゲイの文化では同じセクシュアリティを持つ人に出会う確率がやはり異性間の恋愛などよりも低いため、体の関係から入るカップルも多いという話は聞く。しかし物語が進んでいくにつれてそうした性行為の描写は減り、浩輔が龍太の手にハンドクリームを塗ってあげたり、龍太の母の家を訪ねるなど、二人の精神的な繋がりが強化されたことが強調された。愛と信頼を築いたからこそ、体の関係が無くても安定する。倒錯のようで理にかなったことである。
この映画をみて、「愛に性別なんて関係ない。たまたま好きな人が同性だっただけ。愛は普遍的なものだ。」という感想を抱くのも結構だが、この映画はあくまでゲイの、同性同士の愛を描いた。同性カップルは結婚が出来ないから、婚姻届を記入だけして部屋に飾ったゲイ仲間の話や、浩輔と龍太が外で堂々と手を繋いでデート出来ないこと。誰もが享受できるはずの普遍的な幸せを、同じ形で受け取れない存在がいること。日本という国において確実に存在するのに、見て見ぬふりをされる人がいるということ。同性婚の法制化に賛成します。
ちぇり

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