三角

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいの三角のレビュー・感想・評価

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原作既読勢です。
本作が気鋭の映画監督によってスクリーンに再現されると聞いた時、絶対に傑作になると想像できた。
小説の段階では作者の思ったスタンスを整理して述べているに過ぎないように見えたキャラクターが、その思考や言動が俳優に受肉したときたしかに顕現したと思った。実際にぬいぐるみに話しかけるぼそぼそとした声を感じたときはじめてこの作品は成立したと私には思えた。
京都の静かな住宅地、何気なく見切れてくる遊んでいる子供たち、草花、電信柱、という物理的背景はもちろん、思わずぬいぐるみを撫でる仕草、リュックを背負っている大学生の感じ、プリクラでのやりとり、そういう細かい要素の集積を背景に登場人物が立っているのが認識できるとスクリーンの向こうに本当に存在する世界があるように思える。たとえ玄関先でもスウェットで外に出ないとならない時の心許なさや夜道の心細さを俳優を通じて感じる。

小説の主題はとても評価しているが、それを列挙するだけで終わっているように思えた。もっと掘り下げられると思った。映画になって、文章を映像化するという2次創作の試みと演じる人カメラを使う人音をつける人様々な人の仕事で掘り下げが為されていると思った。
タイトルロゴのぬいぐるみとしゃべる人はやさしい、の最後の「い」が読みづらいのは何故なのか、わかったとき泣いた。七森のリュックから飛び出たぬいぐるみが手を振っているのを見たとき泣いた。

2年前小説を読んだ時は全員傷ついているということを見せ終わっていくという話の閉じ方に無難さを感じてムカついた。最後終わる時に白城の視点になってしまうのとかなんなん?と思っていた。
映画の内容は原作から付け足しも消去もほぼないのであって、そして、しかし原作ありきで映画を観ているからできる感動も多分にある。
答えが見つからない問いに戸惑い続けることは他人にその問いを提示することになり得る。他人を傷つけてしまうことを恐れる気持ちにすら傷つきを感じる。際限ない傷つきが映画館で光になって映る。文章で頭の中で再現されていた人々が目の前に現れる。原作と映画とが補完しあって寄りかかりながら立っているのを想像する。
一人の人の力でつくった物語が、映画という形で大人数の作り手によって作りなおされる営み。原作と映画が辿々しく手を取り合っているのを想像する。

あちらにある不平等による失意とあちらにある暴力による怪我、そのそれぞれに対する気持ちを細い糸で繋いでいくような、そのようにして広がっていく理想や価値観は今ない世界をつくることができるだろうか。
それは熱狂的だったり劇的だったり煌びやかなものではない。苦渋に満ちた人々による不器用な継ぎ接ぎの世界であってそれにこそ私は可能性を感じる。
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