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バルド、偽りの記録と一握りの真実のLudovicoMedのレビュー・感想・評価

2.0
《アカデミー賞を取って『8 1/2』病にかかったイニャリトゥのひとりよがりなメンタル表現》

今度のアレハンドロイニャリトゥはこじんまりしたアートハウス映画をNetflixから放った。作品賞もゲットしディカプリオと命懸けのサバイバル映画を撮影してきた偉業を経て、段々と文芸映画枠による最先端映像技術を見せてくれる風格が相方エマニュエルルベツキの撮影とセットで浸透してきてる。圧倒的ショット〜「どうやって撮ったの?」と思わす神技長回しを通じ登場人物の内面世界とシームレスに収める突飛な表現は多くが指摘する通り、なるほどフェリーニフォロワーな作家性も思い出せる。『バードマン』ですでにフェリーニの『8 1/2』をやった監督だが本作は更に内面世界へ潜っていく。

荒野を疾走する男が勢い加えジャンプすると吊られた様に空中浮遊し着地したらまた走る。そして最終的には飛び立つ様子を地面を舐めるカメラワークから走る男の影のみを映した長回しのアングルで全て伝える。主人公は現実(地面)を離れ無造作に夢想していく系物語だと認識させるオープニングに続き、ハッと場面が変わると分娩室にいる。生まれたての赤ちゃんを大きく捉える感動の瞬間に医師が一言「生まれたくないらしいね、ひどい世の中だから」すると看護師が無理矢理お母さんの体内に赤ちゃんを押し戻してしまった。こんな具合のユーモアと今にも浮遊しそうなストーリーラインから、移民である監督を投影したドキュメンタリー映画監督シルベリオのメキシコ里帰りを綴り、まるでオスカー受賞を経たイニャリトゥにリンクする虚無げなメンタルが描かれる。

前述したイニャリトゥの特技がより堪能かつ熟させた本作とあるが、しかし今回は全くもってテンションが低いです。こんな感じで活字化したり、もっと言えば『偽りの記録と一握りの真実』タイトルに凝縮したテーマ性がすでに話を完結させており、ひたすら長尺に自分語りが続く。そこを持って楽しめるかどうかだろうが、引き込んだオープニングを頂点に、ドンドンと不可思議さが説明的になっていくのがとにかく嫌で、『8 1/2』との大きな違いだった。シルベリオが子供サイズになり亡き父と出会うシーン、直接的すぎる権威ある賞を受けても建前のみで交流してる感じ、取ってつけたような最後のメタ表現、あと幽体離脱、総じて苦手でした。『甘い生活』さえも意識してるようなシチュエーション連発で分の悪さが目立ってしまう。

が、その上で撮影力には心動かされる。ルベツキに変わりカメラを持つのはダリウスコンジという人だが、徹底的にルベツキタッチを参照してるのでパチモン感はどうしてもでも目を見張る。本作は65mmフィルム撮影らしい。ルベツキ調のあのピント抜群超感度レンズのルック〜彼の特徴である奥行きにピントが自動調整される際のグニョッと空間が増える可視化、今回だと宮殿あたりで、長い廊下を曲がる際にあった。

また、場合によって笑える箇所もあった。
自宅に帰ったシルベリオに、フェリーニがよく使いがちな、脳内に響く囁き声との対峙が発生。正体は奥さんで自己嫌悪に至るとか悩みを話してると、今度はシルベリオがふとナレーションになって、「やめて、いっこく堂みたいよ」と奥さんにツッコまれる。そして戯れてると奥さんが消えたりヌルッと現れたりする不気味がやたら面白い。
夜の性行為では、ワレメにキスする愛情に満ちたプレイをしてると赤ちゃんの顔だけワレメからひょっこりはんする狂った描写だったり、かなりクセが強い。

思わず惹かれたのが息子が語る窓の向こうで知らない人がジッと見てくる怖い夢の話だった。割りかし自分もよく見てしまうから、イニャリトゥに比べ俺の人生なんてアホなものだが同じ人間同士悩んでるなぁと共鳴した。って感じで俺にまで自分語りさせるなよイニャリトゥって映画でした。
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