開明獣

サントメール ある被告の開明獣のレビュー・感想・評価

サントメール ある被告(2022年製作の映画)
5.0
こんなにもレビューを書くのに苦労した作品に出逢ったのは、久しぶりかもしれない。

4人の女性がこちらに語りかけてくる。母であった人。今も母である人。これから母になる人。そして、母であることをやめてしまった人。

自由の国と思われがちなフランスだが、ユダヤ人排斥には、ドイツとは関係なく独自に積極的だったし、かつて植民地にしていたアルジェリアからの移民の扱いも過酷だったり、極右勢力も多く、現実はイメージとはほど遠い国、フランス。

ミシェル・ウェルベックという世界を代表するフランス人作家が、その最新作「滅ぼす」の中で、近未来のフランスの姿を、政治・経済・宗教・科学技術等々、多方面から描き出しているが、相も変わらず、移民政策には暗い側面しか書いてない。

それでも、正義を貫こうとする人たちはいる。自分の幼い子供を海に連れ出して殺したと糾弾されている被告に対して、果たして社会は彼女に救いの手を差し伸べていたのだろうか?哲学教育の盛んなフランス。なのに、フランス語を流暢に話し、哲学を専攻したかった知性も高い被告に対して、「移民が実学ではなくて、哲学を学ぶなんて無意味」と蔑む教育関係者。年上の男に弄ばれ、故郷からも見捨てられ、彼女は一体どこに行けば良かったのだろうか?それに対して、真正面から私たちに語りかける女性達は本作で何を私たちに伝えたいのだろうか?

本作を観て、映画「子宮に沈むめる」の元ネタである、大阪の二児餓死事件を思い出した。子供を放置してホストクラブで遊び呆けていたネグレクトにより実の子2人を死なせてしまった女性に対して、世論は非難一辺倒。裁判では、通常の量刑からは異常ともいえる重い刑が課されたが、世間は「死刑でも良かった」の声が多くを占めた。

中学の時に性的虐待を受け、母親からもネグレクトされ、結婚して子を成したが、離婚。不誠実な相手側から養育費は一切支払われず、20代前半で風俗勤めをせざるをえなかった女性に情状酌量の余地はないと断ずる声が圧倒的な中、ルポルタージュライターの杉村春が、罪を犯した女性には勿論非はあるが、誰にも相談出来る場を作らない社会システムにも大きな問題がある、と指摘して大バッシングを喰らった。

自分が、この作品の被告の立場だったら、同じことをしなかったと言えるだろうか?大阪事件の被告と同じ立場に生まれてきたら、同じことをしないと果たして言い切れるだろうか?いつのまにか、自分たちは安全圏にいて、弱いものを虐げてはないだろうか?

自分にも子供がいるので、虐待による子供の死の報道には胸を引き裂かれる思いだが、それを防ぐシステムを私たちは果たして用意してるのだろうか?それは私たちの仕事ではない?では、その仕事がきちんと果たされるように、システムが機能するように目配りをしている政権選択をしてるのだろうか?

自分がどこに生まれてくるかは運でしかない。生まれてきた環境で、人間はどうにでも変わってしまう。もしも、「私はどこに生まれようとも変わらない」という人がいるとしたら、それは論理的にありえない話しだと思う。

劇中、ニーナ・シモンの"Little Girl Blue”が流れてきて、涙が溢れて止まらなかった。自身、クラッシック・ピアニストになりたかったが、黒人ということで専門の高等教育を受けることが出来ず、その後、歌手に転身。双極性障害と闘いながら、生涯、差別と闘った偉大な歌手が歌う曲には色々な願いや祈りが込められていると感じた。

これは、ある不幸な移民の女性だけの問題ではなく、私たち社会全体のシステムの問題ではないのか、と警鐘を与えているといえよう。アメリカの極端なリバタリアニズムや、欧州でのナショナリズムの高揚は、弱者切り捨てを加速している。それはフランスの一地方の問題だけではないはずだ。

年間100本以上もの作品を観ていれば、どうしても一本一本の記憶は希釈化してしまう。それでも、本作は心の奥深くに刺さった、どうしても抜けない棘のようにいつまでも残っているのだと思う。
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