Kachi

正欲のKachiのレビュー・感想・評価

正欲(2023年製作の映画)
3.8
原作未読

以前読んだ村田沙耶香作『地球星人』に通ずるような問題意識が、群像劇のような形で表現されているのが、本作だと理解した。

「普通を問う」作品は、歴史的には過渡期・激動期である時の文化・芸能の一つの表出なのだと思う。性的マイノリティや民族・人種・宗教など、さまざまなテーマに意匠を変えて多数派の専制や少数派の尊重ということは扱われてきた。本作もその一つの系譜に位置付けられるのであろう。

法治国家では、秩序を維持するために正常と異常に閾値を決める。その境界線は、概ね了解されるようなラインが引かれるはずだが、どうしても境界に立つ人、境界ギリギリの人、行ったり来たりする人、などが必ず出てくる。フランスの哲学者フーコーを持ち出すまでもなく、私たちは何を「異常」とするかを時代によって絶えず変えている。その境界線の一部を本作は映像化することによって可視化し、自分の認知的なバイアスや価値観を再確認させるような仕掛けが幾重にも施されていた。
※もっとも、原作とどこが違うのか。忠実なのかは分からないのだけれど。

ここから感想。
正直に言って、磯村君が出ている『月』と同様、とても疲れる鑑賞体験だった。それは、本作に出てくるどの人物も現代社会においては何らかのレッテルが貼られる「異常値」ではあるが、彼ら/彼女らに他意はなく、自分の中から湧き上がってくる自然な正しい欲に忠実なだけのように見えるからだ。

また、その中でも鑑賞者である私たちは異常の程度に序列をつい付けたくなってしまう。
児童への悪戯はイケナイが、水は他者を傷つけないから問題ないだろう。不登校であることはありふれているが、YouTuberに憧れを抱くのは一過性・刹那的なものであろう。この境界線は一体なにか?法律か?倫理観か?考えていくとどこかで言葉に詰まる気がする。

許容される範囲のハズレとは何か?そんなことも考えさせらる。

その対極にいるように見える、稲垣吾郎が演じる寺井は、作中でもっとも「普通」に囚われて不幸せそうに見える。最後のシーンは、まさにそれを象徴するような構図だった。

絶賛しているように見える割にスコアを下げているのは、かなり個人的な理由である。私は机を叩くシーンが嫌いなのだ。不必要な破裂音は耳障りが悪く、その度に鑑賞体験が阻害されるように感じる。たとえ、教科書的には効果的な演出・演技なのだとしても。
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