全体として、もう終わったことだ仕方がないことだとあまり必死にならない、周囲の人々と、ダムの水量と、禿げた大地とどうでもよい色の空が、スクリーンからこちらに伸びるように広がっていて、その中で1人、息子だけが全てだと、それだけが願いだと、その"だけ"という感じが1日という題名と関係し合って感じられた
最後に説明のあった物語を、ただ文章として聞いた時と、ドキュメンタリーとしてみた時と、映画としてみた時と、どんな違ったものがあるんだろうと想像してみたけど、一個すぐに言えることはあの、どうしようもない毎日の虚しさ、それでも次の日の朝も起きて、呼吸を荒げながらも歩かずにはいられない、続く命に対しての苛立ち、そういったものは映画として受け取ったことで事実より確からしいものとして感じれたのかもしれないなと思った
戦争で愛する我が子を失うって、なにをどう解釈しようともああいう、水量なんだろうなあ。こういう形の理解は初めてかもしれない