耶馬英彦

日の丸~寺山修司40年目の挑発~の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

4.0
 序盤のインタビューシーンはとても挑戦的で反感を覚えるが、我慢して観ていると、寺山修司の本意が分かってくる。天井桟敷の劇と同じで、世界に対してかなり斜に構えている。そして寺山の日本人観が見えてくる。
 日本人の心は波のない水面のようだ、石を投げればチャポンと音がして波紋が広がる。そのように寺山は言ったという。たしかにのべつ幕なしに主張しまくっている日本人はあまりいない。主張するよりもマジョリティがどちらに動くのか、様子を見ているところがある。

 コロナ禍でワクチンを打たせるためにどう言えば人々を打つ気にさせるか、有名な沈没船ジョークをもじったジョークがある。
 アメリカ人には、打てばヒーローになれますと言い、
 イギリス人には、紳士淑女はワクチンを打つものですと言い、
 ドイツ人には、打つのは規則ですと言い、
 そして日本人には、みんな打っていますよと言えばいい。

 確かに日本人には、周囲と違うことを恐れる臆病さがある。その逆が「赤信号、みんなで渡れば怖くない」である。政治も護送船団方式だ。多くの人は自分の考えがなく、社会の大勢に従おうとする。寄らば大樹の蔭という訳だ。寺山はそういうところが大嫌いだったのだろう。そして日本人は変わらなければならないと思っていたと思う。「書を捨てよ、町へ出よう」や「家出のすすめ」といった著作には、既存の価値観からの脱却と、自分自身の目で世界を見ろという寺山の日本人への思いが詰まっている。

 しかし寺山の願いも虚しく、日本人は二十一世紀の今になっても、相も変わらず精神的に自立していない。一から自分で考えて、自分の結論を信じるという生き方が出来ないのだ。あなたは戦争に行きますかという問いに対する答え方には、みんなが行くなら行くという本音が透けて見える。日の丸も君が代も、みんなが肯定するなら自分も肯定するという調子だ。情けないことこの上ない。

 当方は中学生から高校生にかけて、戦争の本をたくさん読んだ。そして関東軍をはじめとする日本軍がアジアの各地に武器を持って押しかけて、日の丸を掲げ君が代を歌いながら、強姦し、略奪し、虐殺した歴史に触れ、戦時中の日本人の行ないを恥じた。そして一生日の丸を掲げず、君が代を歌わないと心に決めた。学校で国旗掲揚とアナウンスされても日の丸を見ず、国歌斉唱の指示があっても椅子から立たなかった。すると不思議なことに、モテた。
 つまり日本人の多くは、自分は大勢に紛れて個の責任から逃れようとするのに、他と違うことを堂々とする強さには憧れるのだ。議論を避け、大声で主張する人間には表立って反論せず、陰でコソコソ悪口を言う。そんな連中にモテても何の意味もない。

 中には戦争反対を堂々と主張する勇気のある人もいて、そういう人の言説は人々を勇気づける筈だが、マスコミがそういう人を表に出さないようにしているから、庶民が勇気づけられることがない。ではどうするか。放棄していた自発的な思索を再び始めるしかない。
 戦争の足音は確実に近づいている。世界中にプーチンはいるのだ。もちろん日本の政財界の中枢にも存在する。戦争に反対するなら、どうすれば現実的に戦争を止められるかを真剣に考えなければならない時代なのだ。
耶馬英彦

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