Ginny

君たちはどう生きるかのGinnyのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
5.0
公開日​朝​8:25の回、ドルビーシネマで鑑賞。
原作未読。

「君たちはどう生きるか」?と、問われ怒られ厳しく諭されるものかと思っていた。違った。こんな優しくて暖かくて励まされるものだと思わなかった。すごく、すごく、優しくて、​クライマックスからエンドロールまで​ぼろぼろ涙が止まらなかった。

冒頭から泣けた。
スタジオジブリの新作が見れるという喜び、スタジオジブリの宮崎駿監督のアニメーションが見れることに脳が喜んで気付いたら涙が溢れていた。
誇張や比喩、アニメならではの表現で膨らませ想像力豊かに見せてくれるアニメが本当に楽しい。目も心も脳も、躍動感を持って動く映像に喜んでいた。

新しい面白さ、キャラクターの魅力もあるのに、どこか懐かしさもあった。
自分が思ったその懐かしさは、過去のジブリ作品の背景や要素が感じられたから。
ナウシカの蟲の森、ラピュタの天空の城の壁面の土の感じ、庭園​​、​トトロっぽい模様、​美しい森の緑の様子、耳をすませばの洞窟の光る石、もののけ姫のアシタカの村の石垣、アシタカの弓矢、アシタカのような凛々しい様子、サンみたいなトキみたいな快活な様、千と千尋の神隠しのような豪勢なふすま、和室。イボイボの舌、ちょっとウッとなる汚い、でも生き物ならではの感じ、銭婆の家みたいな感じ、そして「お守り」​、ハウルの動く城の4色のドアの表示​みたいなステンドグラスとか。

今まで、宮さんは、同じもの作ったって楽しくないじゃないか、といって同じもの、自分の成功をトレースすることはなかったと思っていました。
その発言は、確か鈴木さんとの会話​で​密着番組​か何かで​聞いた気がします。
一理あると思っていました。擦り続けて、しがみつくのではなく、新たな表現を模索していくことは素晴らしいし野心的で良いと感じていました。
では、今回の自分が感じた過去作の懐かしさは、焼き直しなのか、再利用なのか。私は違うと思いました。新たな宮崎駿監督の進化、だと感じてこの年で、今も​尚こんな新しい一面を見せることができるなんて、と感動しました。
今までしなかったことを、意味を持ってメッセージ性を伴い新作に組み込ませる。違和感なく、不自然さはなく、良い形で。

今までのことがよぎった。
子供の頃からジブリ作品を見て育ってきて。エンタメとして楽しく消費して終わる範囲には​おさまらないほどに、励まされ支えられ教えられてきた。自分の人格形成に関わっているもの。
それまでの作品も、それを見てきた人たちも、それまでの時間も肯定するようなポジティブな印象を受けました。
トトロ何回も見る子供がいることに、気が狂ってるみたいな発言をしていたと思うんですけど(間違いだったらすみません、でも確かに同じもの何度も見るの気が狂ってると思うし、私はその気の狂い方好きです)、なんかカッカカッカと怒っ​たり​優しいのに世界に毒舌な宮さんの急なデレを感じて、​思いもよらないもので、驚きました。

​「生きる」力を描写から感じました。人力、知恵。
資本主義で経済・利益優先となると人間から生きる力が失われていくと、『人新生の「資本論」』を読んで思いました。職人などその人一人で完結していた作業で完成するものも、稼ぐためには大量に早く生産しなければならず、分業化しシステマチックにして、職人の手の感覚という数値化できないものは無くしてしまう。機械化などでさらに大量生産できるけれど、人間が受け継いでいく手の技術は失われ、また、機械業務に携わる人間は代替できる存在かつ、そこから放たれても身についた技術(何か一つ作りきる技術)はない、という。
(職人も様々な方がいて、部品それぞれ分業制で、一人だけで完成することはないこともあるとわかってます)

そういうのを総じて現代に至るまでにだんだんと全体的に見て人間の「生きる」力というのは社会全体の大きな仕組みに飲み込まれて失われていったと思っている。

そして、思うのが。
世界というものは、何かが改善してなくなって→何かが解決するという一直線方向ではなく、全ての生き物も事柄も環境も因果関係が複雑に絡み合っていて、循環?丸?で転がり続け、転じるたびに新しい問題点が浮かび、また転じて、という気がします。♻️エコマークのような形。
映画の中で描かれたもう一つの世界でのペリカンがわらわらを食べるのを責めたとて、そこひとつ突いて世界が一気に解決するわけではない。世界は複雑な仕組みで、支え合って保たれている。
でも、私たちがやることはシンプルで変わらない気がします。
宮崎駿監督が言っている、自分の半径3メートルくらいに大切なものはぜんぶある、というような言葉、ポニョぐらいから?と自分では記憶していますが。。
本作でもその言葉を思い出しました。
監督は、題材は身近なところなるという創作の源の話だったのかもしれないですが、私はその言葉を受け、周りの人たちを大事に、関係を築いていこうと受け取ってました。
人も、環境も、周りのものを大切にするのが良いと思います。
とかいって国単位で今なお争うんだから、世界を見てるとやってられないですよね。
でも、生まれたのが、生きているのがこの世界だから。与えられた命、与えられた時間有る限り考えすぎずに生きるのみ、と思います。生きてりゃなんとかなる。

ジブリ作品を支えてきた保田さんがなくなってからの初めての宮崎監督の長編作品でしたが、全体を通して変わらず色、素敵だなと思いました。
声優さんも、声優業の人ではなく役者さん起用で味があり、よかったです。
キムタクだけわかりました。
なぜ声優ではなく役者さんを起用するのかは、元ジブリ動画チェック現株式会社ササユリ代表取締役社長でアニメーション業界の後輩育成に尽力している舘野仁美さん『エンピツ戦記 誰も知らなかったスタジオジブリ』の中の舘野さんの推測が私はいいなと思いました。手にとって読んでみてください。

ジブリは日本どころか世界中で愛される作品を多く生み出し指示され人気で注目度が高いからこそ、それにすり寄ってアクセスやいいね稼ぎのために曲解して関係者の発言やエピソードを語る人が一般・著名問わず大勢います。有象無象のエビデンスないツイートや動画を参考にするのではなく一次情報を見るようにして欲しいです。(といいつつ自身は記憶力あまり良くないので出典引用間違えているかもしれないですが、自分の意見として感じたこととは分けてるつもりなのでご容赦ください。)
宮崎駿監督、鈴木敏夫プロデューサーの著書も面白いですが、上記の舘野さんの本や、色彩設計保田道世さんについて書かれた『アニメーションの色職人』という本もオススメです。

「もののけ姫はこうして生まれた。」あたりから、宮崎駿監督は、もう手が限界を超えていると言っていた気がしまして。人間が一生で弾ける線(の距離)は決まってて、もう超えてる、と。それでも描き続け。
この映画の公開を知ったときは、もう描けないだろう、とキメラアント編の本誌掲載くらいの雰囲気の作画を想定してました(冨樫先生大好きです)。
ところが蓋を開けてみたらびっくり。ばちばちの完成度高いアニメーションで意表を突かれました。絵コンテ中心なのか、作画や仕上げは目のチェックと指示だけで手は動かしてないのか、情報知らずどこまで宮崎駿監督の手が入ったのかわからないですが。
ここまでやってくれて有り難い、本当に有り難い、感謝の気持ちでいっぱいです。

コロナ禍、ジブリ作品を映画館で上映してくれ、改めて大人になって見て感動、再燃していたとき、私はきちんとお礼を言っていないのでは?と気づいた。
届いたかどうかわからないし、ファンレターは嫌いかもだし、大人からのはいらないか?とも思ったけれど、感謝の気持ちを伝えたくて、『もののけ姫』公開時のグッズのレターセットで宮崎駿監督へファンレターを書きました。
前述した、宮崎駿監督は半径3メートル…の発言の通り、身近な知り合いの子どもたちが喜んでくれるのが嬉しくてそれで十分かもですし、ファンレター書いて送った方が良いとは私が言える立場ではないですが。せめて、SNSとか感想書いたり呟くのなら、良識の範囲内かつリスペクトと感謝を忘れずにいて欲しいなと思います。今、同じ時代を生きられて作品をリアルタイムで享受できることの凄さを実感してほしいです。後からなんか言うのではなく。

米津さんライブに宮崎さんからのスタンド花があったことで、主題歌ではとTwitterで予測されてましたがその通りで、この世の中どこから漏れる(?)かわからない情報の時代だなとしみじみ。
作中のメインテーマと思わしき音楽もとても良かった。久石さんも健在という感じ。

容器から落ちる一滴の水滴まで描写が細かく、リアリティを追求しながらもファンタジックで大胆なアニメーションもあり、何度見ても楽しめそうです。
一度見ただけでは気づけない細かな描写、何度も見たい7人のおばあさんたちとわらわらとインコ…。本当にすごい。

背中押してもらえた気持ちなので、頑張って生きていきます。
Ginny

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