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君たちはどう生きるかのMorizoのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.9
宮崎駿自身が「わけわからない」と言っているとおり難解な映画でエンタメとは程遠い映画。
それだけに色々な解釈の余地があり、深読みを楽しめる人にとってはおいしい映画とも言える。
自分としては色々な人の考察を見るのが映画そのもの以上に楽しむことができて、それ込みでスコアをつけた。

人の解釈でふーんと思ったこと+自分の解釈を以下に並べてみる。


宮崎駿の幼少期のエピソードを知っていると、この作品の主人公 眞人=宮崎駿 で彼の生きた道を示した映画だということがわかりやすい。

・ 父が戦闘機を作る向上の役員で家は裕福だった
・ 父は再婚(前の母は病死)で宮崎駿は次の母の子
・ 幼少時に戦争で工場が移転して疎開
・ 母が結核で9年間寝たきり
・ 空襲されたときに宮崎家は裕福だったのでトラックで逃げられたが、助けを求める人々を乗せてあげられずそのことがトラウマになった

アニメ等の創作世界に生きる人達に加え、それを消費したりSNSなどの異世界にも自分を置く現代人全般が、フィクションとどう関係しながら現実を生きるべきか、を示唆するのがこの映画の主題と捉えた。

** 以下ネタバレ含む解釈(人からの借り物も含む) **













『失われたものたちの本』という児童文学がモデルとなっている。

眞人の父は宮崎駿の父。職業が同じで兵器制作で財をなす。眞人を愛してうだろうが自分が信じるマッチョな方法を貫くので受け入れられていない。

夏子の実家は名家だが男の子どもがおらず眞人の父が婿入り。

眞人の母方の祖母は若くして死んでいる(ヒミの「私も母をなくした」発言)し、祖父も他界している(姿がない)

タイムライン的に、夏子は眞人の母が生きている時から父と関係があったと予想される。

キリコは大叔父or屋敷の主と関係があって身ごもったがその子は跡継ぎにはならなかった(堕ろした?)(キリコの部屋にあるワンピースは田舎、女中では到底手に入らないもので誰かから特別にもらっている。悪意の証の傷がある)

3種類の母に守られ異世界から戻る力と理由をもらう眞人。ヒミ(母になった)、夏子(これから母に)、キリコ(母未遂)


眞人は青サギが言葉を発するという非常事態に驚かない(宮崎駿がそういう人だった?)

異世界は現実世界に並走するフィクションの世界。
"いかにも"宮崎駿なキャラクターのオンパレードから、この異世界は彼のフィクション世界とわかる。

墓に刻まれた「我を学ぶものは死す」は誰かの作ったフィクションの世界を追いかけるだけでは生きたものは生まれないという宮崎駿から現役クリエイターへのメッセージ

石は他人の作った作品、触れることで「自分」が失われてしまう。失われすぎると異世界に漂うだけの存在になってしまう。

「インコは身ごもった人間は食べれない」設定は、この世を知らない存在は異世界に引きずり込まれることはない ということ(夏子は子どもを産んだらインコに食べられていた?)

インコは口真似(コピー)する存在として象徴されるが、異世界に取り込まれた存在はコピペされたような個性のなない群衆として描かれる。

大叔父が宮崎駿であり、彼の持つ13個の石の積み木は、本作もふくめた宮﨑駿監督の長編映画13作品を表す。

異世界の3日は現実の1年(ヒミが1年神隠しにあってもそのままの姿で戻ってきた) → 大叔父の部屋ができて(1931満州事変)眞人が引っ越してくる(1944第2次世界大戦後期)までの13年が異世界の3日*13。(ヒミは異世界で3日は優に生きている感じがするし眞人も1日は過ごしているが現実で1/3年経過していないので苦しい)

生きる存在(生々しい内臓を持つもの)だけが異世界で生き物をさばき、現実の世界への(ワラワラに内蔵を与える・現実界への扉を開く)道を作ることができる。が、それを許さない存在(島から脱出できないペリカンetc)もある。

青サギの「自分を傷つけたものが直す必要がある」というメッセージには眞人の頭の傷(嫌な世界への反抗)は自分で乗り越えなければいけないという意味が込められている。

『君たちはどう生きるか』の発売日が1937、眞人にメモを残したのも同じ年(眞人3歳、母23歳くらい)。「個人と社会は無関係ではない」というメッセージが含まれる。

『君たちはどう生きるか』を読む前は夏子が森に入っていくのを見過ごしているが母からのメッセージとこの本を読んだあとは積極的に探しに行く(何かが変わった) 。メッセージの遺書感から、彼女は眞人が大きくなる前に自分が死ぬことを知っていたのでは?となり、その謎を探りたくなった?母が子を思う気持ちを知って、これから母になる夏子に対する愛が生まれた?実母を助けることができなかった自分への嫌悪を断ち切りたい気持ちが生じた?

異世界で眞人は現実を学ぶ
1. 物事には二面性がある(ペリカンも絶対悪ではない)(善い存在に見えるキリコにも悪意の傷が)(ヒミの花火はワラワラも焼いてしまう)(青サギは嫌いだが好き)
2. 食のプロセスの一次体験。 女中たちに「食事がまずい」と言い放っていた眞人が魚を捕まえるところからのプロセスを体験、食が不足している状況を目の当たりにする

宮崎駿は第2妻が産んだ次男であることから、夏子が産む男の子 = 宮崎駿 = 眞人。つまりヒミと夏子は共に彼の母となることは定められていた。

眞人はフィクションの中で世界の王になることより現実で悪意のある自分、そして好きになれない家族や同級生と向き合うことを選択する。(宮崎駿の父の仕事への反発に呼応)

眞人の悪意はウソだけでない。暴力(同級生へ)、窃盗(タバコ盗む)、賄賂(タバコを渡す)、武器を作る(弓、刃物) ←父とおなじ

映画ではフィクションへの没頭を否定的に描く一方で「夏子との関係再構築」「母は死んでいないというフィクションを信じる」という眞人が現実を生きる力を得るという肯定面にも光があたる。

夏子も異世界から「帰りたくない」理由がたくさんあった(「家のために姉の元旦那と政略結婚」「長男は自分の子ではないしなつかない」「家でリスペクトされていない(帰宅しても荷物にばかり群がる女中)」)が、異世界で眞人との関係性を再構築し、姉に「いい赤ちゃんを産みなさいね」と肯定されて現実を生きる力をもらう

異世界でのキリコは実際の彼女の姿ではなく理想化された存在?強く正しい存在に見えるが眞人と同じ傷("悪意の印"であり葛藤の証でもある)を持っていること、醜く老いた存在になろうと現実に戻る選択をすること、が眞人の選択に力を与えたことだろう

眞人が異世界に来た時点で「ヒミが現実に戻る」は確定していた(でないと眞人は生まれない)。だから血が通っていても大叔父の後をヒミは継げない

大叔父は青サギを使って眞人を自分のもとに呼び寄せようとしていたが、実は自分の後継者とさせることではなくてヒミを現実に戻させるためだった?

アオサギ=高畑勲。仲間であると同時にケンカ相手。「醜いが人間味があって好き」という評価。

<戦争>
ワラワラが飛ぶシーンは戦時中に戦火や食糧不足で失われた産まれる前の命を象徴している。

母の焼くパン+たっぷりバター&ジャムの食事は戦時の日本の庶民の食事には似つかわしくなく、飛び散るジャムは血を想起させるグロテスクさ。

実母の死は戦火で死んだ人の象徴(宮崎家が作っていた戦闘機により焼かれた宮崎家が救えなかった庶民)(病院の火事は空襲由来ではないかもだが)

屋敷に運ばれる戦闘機(武器)の部品は造形として美しいが、同時に戦死者を産み出し収める棺として描かれていた。

<原子力>
爆発でできた塔が石で覆われる…チェルノブイリ原発事故後の石棺を彷彿とさせる。

大叔父は原爆開発に寄与したアインシュタイン("1つの石"の意)にそっくりである。異世界のバランスが崩壊した1944年の翌年に原爆が投下される…塔の力は原子力の象徴?

塔の入口の門には"fecemi la divina potestate"というダンテの『神曲』からの引用で「聖なる力を、わたしを創った」という意味。この力とは人間が扱うべきではない力=原子力の意味?

「異世界で時間の経過がおかしい」設定は時間の経過速度が相対化される相対性理論を想起させる。

<不明ポイント>
夏子のところへ行くのはなんで禁忌?(ケガレを隔離する産屋の伝統?妊婦用の火を使い分ける風習も関係しているかも)

夏子をとりまく白い紙は何?大叔父の血筋を引くものを守る存在?

ヒミはなぜ異世界にとどまっていた?眞人が来て夏子と対峙するのを助ける役割があるのを知っていた?死んだ母に導かれ?

現実界への扉に描かれた数字132、559の意味「ヒミは何かを計算して開くべき扉を算出していたようだが…)
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