Kuuta

夜明けのすべてのKuutaのレビュー・感想・評価

夜明けのすべて(2024年製作の映画)
4.3
三宅唱ありがとう最高だ

過去から放たれた光は、今の暗闇を照らしてくれる。映画に救われる優しい話だった。スペースカウボーイも見たことがなかった山添(松村北斗)に光が差し込んで、夜明けを迎える。「太陽はどこにも行かない」というメッセージに涙してしまった。

藤沢(上白石萌音)が倒れ込むオープニングから、外の世界は藤沢や山添を置き去りにしたまま運動を続ける。画面の内外へ、容易く移動する「普通の人々」。山添は電車に乗れない。今作の特徴は、山添や藤沢がフレームアウトしかかると、途中で運動がぶつ切りにされる編集だろう。2人はフレームに閉じ込められている(パニック障害を隠している序盤の山添は、会社からの帰り道でフレームアウトする)。窓にかかる日除けのサッシは鳥籠のようだ。

光を失った2人は小さなプラネタリウムを作る会社で働いている。互いに病を知り、同じ動作を反復し、挨拶を交わし、物を受け渡すことで、自由な運動に向けたリハビリを重ねている。山添は灯りをつけるようになり、終盤には自転車のライトと一緒に移動する。藤沢のモノローグは、誰かに聞かせるための言葉に変化する。
上下左右にカメラのフレームが付き纏い、運動を制限されながら、歩道橋の上で夜空を見るシーンなど、「前後の移動+左右の移動」を捉えた長回しによって、2人はフレーム外への視線を取り戻していく。

藤沢の家に山添が自転車で向かうシーンは圧巻だ。太陽の光をいっぱいに浴び、画面奥に向かって走る姿は、手前に向かってくる電車に乗れなかった序盤の合わせ鏡になっている。光と影の境界を走り抜けた先、最後にフレームアウトするのか…?と身構えて見ていたが、この場面は「フレームギリギリに迫る」ショットの連発で終わる。彼がフレームアウトする瞬間はぜひ作品で確認して欲しいが、そのあまりの造作のなさ、「動線を確認する」というセリフの被せ方に唸った。

今作が優れているのは、藤沢が「夜についてのメモ」で語るように「昼=現実=希望」「夜=虚構=絶望」のような安易な二項対立を拒む点にある。生と死は相互補完し、現実と虚構は互いを輝かせる。光があるから影は輝き、影があるから光に気づける。

今作は「外の世界」が残酷だと決めつけないし、病気の完治だけが希望だとは描かない。病や死とゆっくりと対話し、何度も訪れる波を乗り越えていく。昼と夜、相互補完の「周期」(三宅唱風に言えばリズム)を自分の中に受け入れることが、病を抱えながら生きる第一歩となる。「太陽は沈まない」と死者が宣言する捻れは、こうした相互補完の象徴だ。

(オンとオフが溶け合った日曜出社。白黒付けられない領域で2人は再出発を図る)

相互補完が成立している世界では、虚構が現実を変えることだってできる。模擬面接で始めた仮初の言葉が、プラネタリウムに誘う言葉に変化し、人をつなげたように。今作は現実の星空ではなく、街やプラネタリウムの光を信じ、カメラを向けている。

映画館の暗闇には、作品の外にある現実を照らす力がある。物の受け渡しを通してコミュニケーションを描いた今作は、PMSへの理解を促すパンフレットの配られた観客席に向かって、ボールを投げ込むことで終わっている。エンドロールで再びフレームアウトする山添と対照的に、藤沢は光の中に霞んでいった。世界に藤沢を見出し、声をかける相互補完の役割は、現実の観客に託される。今回の座組で想定される幅広い客層に向かって、三宅唱らしさを失わずに、具体的かつ普遍的なメッセージを届けている。こんなん鳥肌立つに決まってるわ
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