Kuuta

プレステージのKuutaのレビュー・感想・評価

プレステージ(2006年製作の映画)
3.4
ノーラン汁が濃い映画でした。

演出、科学技術(アンジャー=ヒュー・ジャックマン)
発想、アナログな頑張り(ボーデン=クリスチャン・ベール)

双方を組み合わせて映画を成立させるのではなく「対立する概念の衝突が映画になる」という発想で作品を作るノーラン(ダークナイトの正義と悪、TENETの巡行と逆行…)。

映画で手品を面白く見せるのは難しい。カットを割ればいくらでも細工ができるからだ。今作には見ている我々を驚かせるような手品がないばかりか、編集を多用して手品の表も裏も曝け出している。ワンカットの中でアクションを収める「映画の喜び」に逆行している。

手品師が互いのネタを潰し合う痛々しさ、グダリっぷりは、映画の美しさ(と映画ファンが呼ぶもの)をメタに否定しにかかっているようにすら感じる。
ダークナイトライジングでブルースウェインが葛藤を乗り越え、大穴をジャンプで飛び越える瞬間に平然とカットを割るあの「非映画的な」手つき。TENETでジャンボ機が衝突するシーンのスペクタクルの乏しさ。アクションの美しさに目を向けず、単なる情報として提示する無頓着さは、彼が古典的な映画の美を信じていないことの裏返しだったのでは、と考えさせられた。

中盤までは手品師が手品=映画を台無しする、体を張った泥仕合として楽しく見ていたが、テスラが絡む後半からは人物の抽象化が進み、分かりづらくなってくる。

アンジャーは、エジソンと対立したテスラの技術を受け継ぐ。光と共にイメージが複製されるあの装置は巨大なカメラと言える。彼はエジソンと別の発想で映画を発明し、歴史の主流派となったリュミエール兄弟の流れを汲んでいるし、劇場に客を呼び込む姿は、奇術を映画に持ち込んで興行化に成功したメリエスにも見える。

(テスラという技術オバケに「地球に落ちてきた男」デヴィッド・ボウイを当てる配役)

アンジャーはテスラから受け継いだ箱=映画の歴史と共に燃えていく。ボーデンのように人生を懸けてアナログに体を張るくらいしか、今の観客は映画に驚きを見出せない。CGに複製された虚構ではない、泥臭く、強烈な現実をフィルムに映し取ることが映画の役割だという、ノーランなりの映画論が表れているラストに見える。

本来、アンジャーの装置の方が、ボーデンのオチよりよっぽど驚くべき内容なのだが、ノーラン的にはボーデンに気持ちが寄りすぎているので、妙な味わいになっている。理屈を超えてノーランがやりたいことをやる可愛らしさが刻まれた作品だと思う。
Kuuta

Kuuta