24/3/1@UPLINK吉祥寺❸
「苦しみはもう現実で十分というか、わざわざお金を払って時間を使ってまで『こんな苦しみが世間にはあります』で終わるものはいち観客としてはあんまり見たくない。その先の突破口みたいなものを見たいと思っています」
ー三宅唱監督談
本作と前作『ケイコ・・』が傑作である理由。同時に私が最近の日本映画をあまり見ない理由が、まさにこれだ。同じ「弱者」を題材にした映画でも、三宅作品ではその描写自体を目的にしていない。「こんな世界があったらいいな」を提示するための手段として見事なバランスに収めている印象。「弱者」とカッコ書きにしたのは、三宅作品の彼らは決して「弱い人間」ではないから。ケイコも、藤沢さんも、山添君も。
栗田科学のようなサンクチュアリは、残念ながら今の東京にはない。凡百の監督が作れば「こんな会社ないよ」という批判で溢れそうなところだが、大半のレビューが好意的だ。その理由は、この会社の非現実性に映画はちゃんと自覚的で「それでもこの理想郷は今の東京に、日本に必要。だから映画にする」という地に足の着いた姿勢のなせる業だろう。
エンドロールのキャッチボール。
ボールが最後にこちらに向かって転がってきた、その意味を考える。
主人公の「同僚関係」が面白い。
なんでも恋愛関係にしてしまう日本映画の悪癖に対するひとつの提言にもなっていたかな。自分にもその悪癖があることを自覚したのは、藤沢さんが山添君の彼女と鉢合わせしたシーン。「誤解されるようなことは言わないほうが・・」などと思って一瞬ハラハラしてしまったよ(笑)
藤沢さんの歩きミカン🍊に☺。