いの

ツィゴイネルワイゼン 4K デジタル完全修復版のいののレビュー・感想・評価

5.0
喰うことはなんと官能的なことなのか、と私は思う。食べることは、生き物をいただいて生きることだとはよく言われていることだと思うけれど、それだけじゃなかった。喰うことは生と性を食することだった。


男ふたりと女がひとり / 女ふたりと男がひとり
原田芳雄と藤田敏八と大谷直子(おイネ)の三角形。原田芳雄と藤田敏八という直線に、もうひとりの大谷直子(細君)を結ぶとそこにも三角形ができる。盲の門付けも三人。原田芳雄と藤田敏八と大楠道代。等々 其処此処に三角形がある。三角形をくるくるさせるとレコード盤のように回転するけど、それはもともと円じゃないから何処か歪で、そりゃ聞こえる筈のない声が聞こえてくるし、見えないものも見えてくる。


もしもわたしが盲になったら、その時に観たい一番の映画になるかもしれない。ドンドンドドドンなのか、シャンシャンシャシャシャンなのか、トントントトトンなのかわからないけど、あの余韻溢れる響きで世界の果てまでも旅することができる。そして原田芳雄のあの低い声。たまらなく魅力的で、あの声と一緒なら大丈夫と思える。天国であろうが地獄であろうがどこでも行けるし、そこで生きてゆける。だから大丈夫、とアタシは思える。盲になっても音だけで(心で映像を再現して)わたしはこの映画を堪能できると思う。


そして、もしもわたしが朽ちていきそうになったら、腐っていくカラダがいちばん美味しいのだと言われたい。死にゆく際には、骨がいちばん美しいのだと言われたい。できればわたしは自分の骨を蒼色にできるよう試みたいと思う。


もう映像は何から何まで凄すぎて言葉にできまへん。海岸で村民の群像の動き(の中心に原田芳雄がいる)から度肝を抜かれる。トンネルや鎌倉の切り通し。少し夏目漱石の「こころ」を思い出してしまいました。それから、柱がちゃんと見える日本家屋はいいなって思いました。柱が中心にあったり左に映ったりするけど、柱があると画がしまると感じました。今後は柱フェチになっちゃいそうw




*三角形と三角形を足したら平行四辺形にもなるなと。その時には、大谷直子(おイネ)と大谷直子(細君)は交わることがないんだと、ひとりでフムフムした。原田芳雄と藤田敏八の直線は、ここがいちばん互いを求めていたように感じるけど(それが「こころ」をオトナになってから再読して感じたことだった)、互いを求め合っても骨をしゃぶり合うことは出来ないしだからこそ誘われ続けるのだと感じた。



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映画館では『夢二』→『陽炎座』→『ツィゴイネルワイゼン』の順に観て、三作みたあと自宅で『ツィゴイネルワイゼン』→『陽炎座』→『夢二』の順で鑑賞


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追記 2024.01.23
・清順監督が東京出身ということと、弟がアナウンサーだったこと、コメント欄にて教えていただきました(自分で調べずに申し訳なかったです)

・「サラサーテの盤」が原作ということを知り読んでみました(2024年1月)。他にも内田百閒の小説を読んでみたところ、「サラサーテの盤」だけじゃなくて内田百閒のいろいろな小説をもとに脚本を練り上げたのだろうと思い至った次第。例えば、“細君の妹が死にかけ”、“お台所の戸棚に鱈の子があるから、兄さんに上げて下さい”という会話は、(戸棚の中にあったのはなんだったのか忘れちゃったけど、)映画『ツィゴイネルワイゼン』であったように記憶しています。それは「山高帽氏」のなかの記述で、自殺した芥川龍之介と内田百閒との出来事が色濃く反映されている小説だそうです。内田百閒の描く世界も、この世とあの世の境界が揺らぎ、行き来するような物語が多いと感じます。内田百閒の描く世界観そのものと呼応しているようにも感じました。脚本を担ったのは田中陽造という方だそうですが、脚本も見事なものだったのだなぁと思いました。
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