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コット、はじまりの夏のいののレビュー・感想・評価

コット、はじまりの夏(2022年製作の映画)
4.3
自分に火の粉が降りかからないように、矛先が自分に向けられることがないように。寡黙さはそのためにコットが身に着けたものだったのかもしれない。それはいつしか自分の性格というものになっていったのかもしれない。冒頭、コットが草むらに寝転んでいる場面。俯瞰ショットだけど、コットの姿は、はっきりとは映らない。草むらがコクーンの役割を果たしているからだ。伸びた草が繭のようになってコットを包んでいる。家でも学校でも居場所がないけれど、でも草はコットを見守っている。


夏休みの間、食い扶持を減らすべく両親が放出した親戚先での風景。農道の両側に立ち並ぶ木々が高く伸びてアーチ状になっている。その木々は、成長していくコットを、アイリンとショーンが手でアーチを作ってくれているようにも感じられた。貴女が歩く道を、貴女が走る道を、わたしたちはずっとずっと祝福しているよ。木々はしゃべらないけど、でもそんな風に言っているようにも感じられる木々だった。言いたくないことはしゃべらなくても大丈夫。でも、しゃべりたくなったらもちろんしゃべっても大丈夫。それはアイリンとショーンにとっても心に負った傷を慰められる過程。コットの存在が日に日に愛おしくかけがえのないものになっていく様子が静かにゆっくり描写されていく。


髪を梳く場面は、ケン・ローチの『家族を想うとき』でも印象的だったけど、梳いてあげている人も梳いてもらっている人も、相互に癒し癒されるかけがえのない時間の共有なのだとあらためて思う。牛の世話も、じゃがいもの皮むきも、ポストまで走ることも。大切な時間を共に過ごすかけがえのなさ。わたしは途中からすすり泣きがとまらなくなり、最後は嗚咽してしまったけど、ハンカチを差し出してもらえる渋川さんになることはできなかった(意味不明)
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