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窓ぎわのトットちゃんのJPのレビュー・感想・評価

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)
4.4
映画が始まってからずっと、なぜか涙が止まらなかった。なんてことのないシーンひとつひとつに、トットちゃんの純真さがひたすら貫かれていて、やられた。
「トットちゃんは、トットちゃんなのに、どうしてみんなトットちゃんのことを困った子って言うの?」に泣いた。
大人には無い自由な感性を持つ子どもを束縛するのは、いつの時代でも大人であり、不条理な社会だ。俺は、この子どもを知っている。そんな気がした。

タイトルの「窓ぎわ」。昔から聞き馴染みこそあったものの、「窓ぎわのトットちゃん」を読んだことはなく、今作のビジュアルにもなっている窓ぎわで外を眺めているトットちゃんの姿を見ても特になんとも思っていなかった。
が、しかし、今作を鑑賞すれば非常に本作を象徴するタイトルであることがよくわかった。
使われなくなった電車を再利用した教室で、「どこでも好きな席に座っていい」と言われて自ら「窓ぎわ」の席を選ぶトットちゃん。
(そもそもこの「使われなくなった電車」が「レールから外れてしまった子供達」の象徴でもあるように思える。新しい「図書室の電車」を朝焼けの中皆で迎える場面は、トモエ学園がどんなドロップアウトしたものたちをも受容できることを表すシークエンスとしても感動的で秀逸だった。)
ピアノや本棚など、車内にはたくさんの物が溢れているが、トットちゃんはあえて外の見える「窓ぎわ」を選ぶ。
彼女には、動かない電車が動きだすように見えるし、その車窓がたくさんの巨大な動物たちやお菓子、お花畑から広大な宇宙までを映し出す。彼女の想像力にブーストをかける装置であり、テレビスター・黒柳徹子の生きる場所である「テレビ」の象徴にもなっているのが、この夢幻の「窓ぎわ」なのではないだろうか。

全編にわたり、アニメーションの喜びに満ちているのがすごく良い。同時期に公開されたディズニー映画「ウィッシュ」は、一回「トットちゃん」を観て出直してほしい。
窓ぎわから巨大な動物たちが見えるシークエンス、裸で水泳をするシークエンス、泰明と流氷をわたる悪夢のシークエンス、それぞれに別の監督とアニメーターをつけるという豪華さ。
汲み取り式便所に財布を落としてしまった描写は、落としたのが何なのかを最初には描かないことや、糞尿の正しい描写(SPY×FAMILYの糞尿はクソファンタジー)、糞尿を一面に掻き出しても怒らず「後でちゃんと戻すんだぞ」とだけ言う小林先生、でも手伝わない小林先生、「見つからなかったけど、たくさん探したから、いいの!」というトットちゃんの人生論みたいな結論、全てが完璧なエピソードで感動してしまった。
ラスト、小林先生の背広にトットちゃんの涙が滲みていく描写なんか圧巻。

みんな一緒だよ、同じだよ、の精神は資本主義の世界においては若干恐ろしいものがあるが、「みんなとは違う」と自ら孤独を深めていた泰明が、全裸プールでの解放をきっかけに、木登りを経て、最終的に腕相撲で力を抜いたトットちゃんに対して「ずるしないでよ!」と怒るまでに変化するのは、マジで感動。

▼余談
・将来T Vスターになる黒柳徹子が「トットちゃんはT Vに出たら良いよ」と言われたのに対し「私、箱に入るのイヤ〜」と即答するのは笑った。
・ピアノ演奏やオーケストラの描写が何回かあったが、なんか「BLUE GIANT」とかよりも忠実で躍動感とアニメーションの喜びに溢れた場面になっていて感動した。(「BLUE GIANT」はゴテゴテのCG人形劇と化していたから仕方なし)
・流氷渡りから、水たまりを避けながら閉園するトモエ学園まで走っていく場面へ。ひよこの埋葬から、泰明の葬式へ。シークエンスの重ね方が◎
・ロッキーの首に定期券ぶら下げちゃうトットちゃん、笑っちゃった。なにしとんねん。
・第二次世界大戦期の風俗描写も面白い!キャラメルの自販機、のぞきからくり、氷の冷蔵庫にハイカラなトースター、見たことなくて全部面白い!
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