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ミッシングのJPのレビュー・感想・評価

ミッシング(2024年製作の映画)
4.6
▼𠮷田恵輔 圧倒的な傑作!

もはや日本版「スリー・ビルボード」。起こりうることが全て起こっていく。無理な展開はひとつもなく、エピソードひとつひとつが唸るほどリアル。
唇を震わすリップロールと扇風機、喫煙所で見かけた幸せそうな親子、「お気持ちはわかりますが、ってどれくらい分かってますか?」のセリフ…
もうやめてくれっていうくらい、痛みが伝わってくる描写とリアルなエピソードに滅多刺しにされる。

そして「空白」が成し遂げた偉業がものすごく活かされている。
劇伴はほぼなし、セリフがない要所でかかるのみ。したがって、観客は地獄の会話劇を固唾を飲んで物音立てずに見守らざるを得ない。
そして全編通してドキュメンタリーチックな映像(背景がぼやけていない、絞り値の大きい映像)だが、ここぞという場面であまりにも映画的な美しく幻想的なカットが入る。


▼石原さとみの演技は別格すぎてもう大竹しのぶとかの域。

映画史に残る、絶望の失禁シーン。観客も怒りと悲しみで拳を握り、奥歯を噛みしめたはず。もうこの場面がエグすぎて「空白」の交通事故と同レベルの恐ろしさ。二度と見られないかもしれない。

▼憎しみあう一般市民たち

警察署で警官にキレてるオッサン、スーパーで「ヤクルト1000」が無いことにクレームをつけるオバハン、商店街でぶつかって喧嘩している男女…
この映画のストーリーラインとは無縁にもかかわらず、主人公たちのセリフを遮るくらいの声量と剣幕で印象を残している一般市民たち。沙織里や観客からすれば、クソどうでもいいことで罵り合い、憎悪を募らせている一般市民たち。これは沙織里が憎むネットの書き込みが、ヒトの肉体でもって実体化している醜い姿だ。社会はこんなにも憎悪で溢れ、連鎖している。電話やネットなど、肉体が伴わない場所であれば、別のベクトルで悪質化し、さらなる憎しみを生む。
「書き込みなんて、便所の落書き同然なんだから、見なきゃ良い」という豊の意見は確かに正論だ。だが、「その書き込みは人を殺す」「どうしても見ないでいられない」という沙織里の意見こそ真理だ。書き込みは警察署やスーパー、商店街で罵り合う一般市民であり、攻撃対象は明確に沙織里たちなのだから。

▼憎しみの連鎖を、どう断ち切るのか

そんな憎しみの連鎖に、今作はどんな決着をつけたのか。
言葉によってつけられた傷は、言葉により癒される。「空白」でも辿り着く結論だが、今作はさらにその先に到達している。
沙織里が、同じように行方不明となった宇野さくらを捜索する、2年後のチャプター。さくらが見つかったとき、美羽は見つからなかったことに絶望する可能性だって十分にあったのに、まるで美羽が見つかったのと同じように、泣いて喜ぶ沙織里がなんとも美しい。そして沙織里たちの宇野さくら捜索は、実質は何も事件解決の契機にはならなかったように描かれていたが、さくらの母親は沙織里が捜索してくれていたことを知ってくれていて、感謝する。
憎しみの連鎖にのまれることなく、「助け合い」の連鎖がここから始まる。これはきっと「空白」よりも一歩先に進んだ答えを提示している。
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