てっぺい

落下の解剖学のてっぺいのレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.0
【落下する映画】
夫が落下した真相、事が“解剖”されていくことで表出する妻の真相に、妻自身も落下していく。陪審員の目線で裁判の行方に見入る没入感で、見ているこちらも映画の深みに落ちていく。

◆トリビア
〇トリエ監督はサンドラについて「⺟国語以外の2つの⾔語を話すことで、彼⼥は複雑な重荷を余計に背負わされている」「複数の⾔語を話すことで、ある種の仮⾯を持つことにもなる」と、複数言語が彼女に引き起こす葛藤と影響について⾔及している。(https://screenonline.jp/_ct/17683124)
〇ダニエル役のグラネールについて、7ヶ月を要しやっと出会ったというトリエ監督。「とても才能豊かな子で、知的能力も感情能力も並外れている。そしてどこか、もの悲しそうな表情も持ち合わせています」とその存在感を絶賛する。(https://eiga.com/news/20240124/13/)
〇「ある夫婦の関係が崩壊していくさまを表現したいと思ったのがはじまり。夫婦の身体的、精神的転落を緻密に描くことによって、ふたりの愛の衰えが浮き彫りになっていくという発想から出発した」と企画のはじまりを監督が明かした。(https://toyokeizai.net/articles/-/728894?page=3)
〇事件の第⼀発⾒者となる⼦供の視覚障害について監督は「映画を⾒ている観客も、⼦供や陪審員と同じ状況、つまり視覚という要素が⽋落した状況に置かれることになる。だから裁判で、何が⽋けているのかという錯乱状態の後に、すべてがつながっていくことになる」と本作を読み解くヒントを提示した。(https://screenonline.jp/_ct/17683124)
〇監督は次のように語る。「私たちは言語の異なる領域間を行き来している。一つは家庭や親密な関係で交わされる直情的な言語で、そこでは話が通じなくてもなんとかなる。一方、法廷では現実を把握するために分析的な言語が使われる。だからこの2つの言語の領域を掘り下げて、人が一方から他方へどのように移行するのかを解明したら面白いと思った。」(https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2024/02/post-103723.php)
○監督は、ダニエルが父親の言葉を再現する場面で出る映像について「それは記憶であり、事実ではない」と語る。「検察官が指摘するように、証拠のない証言なの。法廷では、他人によってあちこちに散らばった不確かな要素を組み合わせて審判がくだされる。つまり歴史が虚構になってしまう。私はそんな点に興味を引かれたんです」(https://www.gqjapan.jp/article/20240221-rakkano-kaibougaku-anatomy-of-a-fall-review)
○ 本作はフィクションだが、実際の刑事事件専門弁護士が顧問。監督は「脚本の段階から逐一、確認して、専門的に間違いがないよう努めました。特に法廷で審理が行われる過程は実際の裁判同様に見せるため、事細かに相談しています」と話す。(https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/a46689958/anatomyofafall-240223/)
○ 犬のスヌープを演じたボーダーコリー犬のメッシは、第76回カンヌ国際映画祭でパルム・ドッグ賞(カンヌ国際映画祭で優秀な演技を披露した犬に贈られる「非公式」な賞)を受賞した。(https://www.sanyonews.jp/sp/article/1515033)

◆概要
2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門パルムドール受賞(女性監督では史上3作目)作品。第96回アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞の5部門ノミネート。
【脚本】
ジュスティーヌ・トリエ
アルチュール・アラリ(トリエ監督の私生活のパートナーで、戦後約30年目に生還した小野田旧陸軍少尉をめぐる実話「ONODA 一万夜を越えて」を監督した人物でもある)
【監督】
ジュスティーヌ・トリエ(本作が長編4作目)
【出演】
「ありがとう、トニー・エルドマン」ザンドラ・ヒュラー
【公開】2024年2月23日
【上映時間】152分
【製作費】€6,200,000(約10億円)
【英題】「Anatomy of a Fall」

◆ストーリー
人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳の少年が血を流して倒れていた父親を発見し、悲鳴を聞いた母親が救助を要請するが、父親はすでに息絶えていた。当初は転落死と思われたが、その死には不審な点も多く、前日に夫婦ゲンカをしていたことなどから、妻であるベストセラー作家のサンドラに夫殺しの疑いがかけられていく。息子に対して必死に自らの無罪を主張するサンドラだったが、事件の真相が明らかになっていくなかで、仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が露わになっていく。


◆以下ネタバレ


◆落下
ボールが階段を落下していき、スヌープがそれを咥えて去っていく冒頭。まさに本作での“落下”を象徴づけるものであり、またスヌープがキーである事もここに記される。サミュエルはまさに落下して死亡。サンドラも、夫婦の不仲はもちろん、バイセクシャルや不倫まで公の面前で暴かれる。夜の車内で泣きじゃくる(苦笑いから大泣きするザンドラ・ヒュラーの演技力!)彼女もまた、学生から取材を受けるほど人気のあった冒頭からは地に堕ちるほどに転落していた。本作で印象的なズームインが2つ。一つは、散歩中のサンドラとダニエルが見た、検察による落下検証。一つは、サミュエルとの口論が法廷で暴かれたサンドラをダニエル越しに捉えた映像。どちらも“落下”で共通するシーンのズームインに、撮影手法からこだわる本作の本気度が伝わってくる。

◆解剖
監督は「映画を⾒ている観客も、⼦供や陪審員と同じく、視覚という要素が⽋落した状況に置かれることになる。だから裁判で、何が⽋けているのかという錯乱状態の後に、すべてがつながっていく」と語っている。ダニエルが初めて証言台に立つシーンでは、家のテープの感触を間違えた事を、検察側は悪意を探るように尋問し、弁護側はサンドラの不利にならぬよう解釈する。このシーンのダニエルが象徴的で、見ているこちらも右に左に首を振りながら、検察と弁護の解釈を行き来する感覚に。監督の言葉の通り、見ているこちらもいつの間にかダニエルや陪審員と同じ目線に立っているのが面白い。精神科医の証言も夫婦の口論の録音データすら、検察の陳述でサンドラに非があるように思えて、弁護の陳述でその逆に思えてくる。ダニエルがついにたどり着いた“状況証拠”にも、“過度に主観的だ”と検察は一蹴。“解剖”がなされていく法廷の場は、“証言”が“証拠”になり得ない。そんな特有のもどかしさ、審理の難しさに終始見入る感覚だった。

◆ラスト
無罪を勝ち取るも、“ただ終わっただけ”と虚無感にさいなまれるサンドラ。テレビ番組で“妻が殺していた方が面白い”と言ったように、世間は好奇の目でおそらくその後も彼女を囲む(真実を突くダニエルの証言時にこそ傍観者が皆無、つまり世間の目が向かないというシーンが虚しい)。最後にダニエルがこぼした言葉は“ママが帰ってくるのが怖かった”。父の自害を証言しても、無実の判決が下っても、あの一連の裁判でダニエルもやはり母への疑念を心の奥底に宿した、そんな映画表現だった。ただしサンドラ自身にも心から信頼できるパートナーができたわけで、ダニエルとの長いハグも真の親子のそれに思える。最後にサンドラに寄り添ってきたのはスヌープ(薬で瞬きが止まったあの演技がすごい!)。冒頭で落下したボールを咥えて階段を登る、つまりスヌープはそのボールの落下を止めて元に戻したわけで、本作を通じてもサンドラを救ったキーマン(キードッグ?笑)そのものでもあった。あえて最後まで事の真相こそ明かされていない本作だが、無垢な存在であるスヌープがサンドラに最後に寄り添ったという表現は、本作が彼女に下したあたたかい真の判決、そう解釈してもいいように思えた。

◆関連作品
〇「愛欲のセラピー」('19)
トリエ監督作品で、ザンドラ・ヒュラーも出演。プライムビデオレンタル可。

◆評価(2024年2月23日現在)
Filmarks:★×3.8
Yahoo!検索:★×3.4
映画.com:★×3.6

引用元
https://eiga.com/movie/99295/
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/落下の解剖学/
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