てっぺい

ボーはおそれているのてっぺいのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.0
【ボー然とする映画】
怒涛の悪夢パンチを3時間浴び続ける。そんな中にも映画の軸には映画普遍のテーマを組み込む巧みさ。そしてアッパーカットのような重量のラストに、鑑賞中も鑑賞後もボー然となる。

◆トリビア
〇アリ・アスター監督は、本作を見た反応が2つに分かれるという。不安神経症や精神障害、あるいは誰かと共依存関係にあるような人々は「わかる」。“ノーマル”な人々は「何が起きているんだろうか」という目で観ているという。監督は前者にあたるそう。(https://natalie.mu/eiga/pp/beauisafraid/page/2)
○ 「ジャンプしてガラスを跳び越えたり、屋根裏部屋から落ちたり、一日中スタントパフォーマーとバスタブの中で激しく転げ回ったりした」と、大半の危険なスタントシーンをホアキン・フェニックス自らが行った事を監督が明かした。(https://s.cinemacafe.net/article/2024/02/04/89841.html)
〇あらかじめ俳優とカメラの位置を決めておくというアリ監督の撮影スタイルは、ホアキンと出会ったことで、頭の中でイメージを思い浮かべるだけにしたという。「そうすれば、彼が撮影でいつどんな演技をしても受け入れられるからね。いつも僕の想像を超える、すばらしいシーンになったよ」と自身の演出スタイルにまで影響を及ぼした俳優の凄みについて語った。(https://www.cinemacafe.net/article/2024/02/04/89841.html)
〇監督は「ホアキンと一緒にボーのルックスを作り上げた。いろんな髪型を試してみて、その時の彼の髪型をいじりながら、何が適切かを検討した」と振り返る。「話して話して話しまくり、さらに、ひたすら話し続けた。それから、もうすべてを話し尽くしたと思ったとき、さらに話し続けるんだよ」と、ホアキンとの徹底した対話からボーという稀有なキャラクターが生み出されたことを明かしている。(https://www.cinemacafe.net/article/2024/01/26/89701.html)
○監督は本作で描かれる、時として子供を窒息させる母親の愛について「ボーは母親のせいだと思っているし、母親はボーのせいだと思っていて、その負のスパイラルを描いたコメディだと僕自身は捉えています。」と語る。(https://natalie.mu/eiga/pp/beauisafraid)
○監督は次のように語る。「僕はなんとなく自分の居場所がないと感じている。家庭といえば無条件の愛や、ありのままの自分を受け入れてくれる場所というストーリーがさんざん語り継がれてきたけれど、その温かく美しい場所は、表裏一体で義務の空間であり、逃れられない場所。僕たちを誘う空間であると同時に、檻となる空間でもあるんだ」(https://madamefigaro.jp/series/interview/240212-creator-01.html)
〇監督は次のようにも語る。「今回は章の間に20〜30分ほどの間奏のようなパートがあります。それを一部の観客が拒絶するであろうことは初めからわかっていました。実験的な要素は、観る人によって好き嫌いがあるでしょう。しかしそれこそが、わたしが映画のなかで追求している遊びの本質なのです」(https://wired.jp/article/beau-is-afraid-ari-aster-interview/)
○ ボーの姓の一部Wasserは独語で、名前ボー(Beau)のEauは仏語で、それぞれ水を意味する。(https://eiga.com/movie/99338/critic/)
〇監督は、舞台劇の中にボーが入るとしたら、これはいっそのことアニメにしたほうがいいと思いついて興奮したという。「いつかアニメを手がけたい」と思っており、今回の15分短編アニメにやりがいを感じ、いつか長編を作ってみたいと語る。(https://natalie.mu/eiga/pp/beauisafraid/page/2)
〇監督は以前の来日時に歌舞伎を鑑賞、その美しさに圧倒され、脚本中だった本作のあるシーンを書き換えたという。(https://www.cinemacafe.net/article/2023/12/18/89184.html)
〇終盤の、ボーが茫然自失となるシーンは、監督がホアキンに『乱』の仲代達矢の写真と歌舞伎役者の写真を見せ、その表情を提案した。(https://www.ehime-np.co.jp/article/202402160047)
○本作の音のミキシングにその作業だけで2カ月を要したという。劇場で見てもらうために設計しており、没入感にこだわった5.1chのサラウンドで楽しんでほしいとアリ監督は話す。(https://natalie.mu/eiga/pp/beauisafraid)
○アリ・アスター監督とホアキン・フェニックスのタッグ作品の製作が進んでいる。「西部劇になる予定で、僕の好きな西部劇は『荒野の決闘』とだけ言っておこうかな(笑)」と監督が明かしている。(https://madamefigaro.jp/series/interview/240212-creator-01.html)
○本作の製作費は、A24史上最高額の3500万ドル(約53億円)。(https://eiga.com/movie/99338/critic/)
○ 東京・中野の「atticroom NAKANO」が本作とのコラボメニューを展開。不安げな表情を浮かべるボーの現在の姿をプリントしたカフェラテなど全3種類のラテが提供される。3月17日(日)までの予定。(https://getnews.jp/archives/3503965)

◆概要
【監督・脚本】
「ミッドサマー」アリ・アスター
【出演】
「ジョーカー」ホアキン・フェニックス
「プロデューサーズ」ネイサン・レイン
「ブリッジ・オブ・スパイ」エイミー・ライアン
「コロンバス」パーカー・ポージー
「ドライビング・MISS・デイジー」パティ・ルポーン
【公開】2024年2月16日
【上映時間】179分

◆ストーリー
日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男ボーは、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。その後も奇妙で予想外な出来事が次々と起こり、現実なのか妄想なのかも分からないまま、ボーの里帰りはいつしか壮大な旅へと変貌していく。


◆以下ネタバレ


◆ブラックコメディ
胎児の目線で、心臓音と羊水音、そして何やら女性の叫ぶ声が聞こえる冒頭(微かな音量は配信ではおそらく聞き取れない、劇場での音への監督のこだわりが伝わってくる)。胎児は落とされ、泣き声も上げない描写から、本作が生まれもった障害を抱える人生を描くことが輪郭化され、タイトルへ。監督が本作を「ブラックコメディ」と例えたように、そこからのいわゆる第一章(ボーが意識を失いブラックアウトするたびに章を分けるとしたら)は怒涛のブラックコメディの連続。カオスなスラムで門戸に全速ダッシュ笑、卑語の落書きの壁をつたい、部屋では爆音とその冤罪にさいなまれ、ついにはスラム民から部屋を荒らしに荒らされる。極めつけに「風呂に不審者、路上に殺人鬼…」と裸で訴え発砲され、見事にカークラッシュ。第二章以降もこれでもかと続くボーの災難には、時に笑えてくるほど、時に吐き気をもよおすほど心身が疲弊する感覚。3時間みっちりブラックコメディという悪夢を味わえた。

◆親子
そんな怒涛の展開の中、本作の軸となったのは母と子の関係性。家族といえば監督の過去作『へレディタリー』『ミッドサマー』でも描かれた、いわば映画に普遍のテーマであり、特に本作については監督が「母親の愛が時として子供を窒息させる条件付きなもの」と語っている。モナはあらゆる手を使いボーを帰省させながら、声高に罵りボーの手にかけられてしまう。その倒れた先のボックスは、ボーが昔愛でた鑑賞魚の水槽であり、母もやはりボーからの“愛”を欲していたという演出だった。ボーはボーで、母の怪死の知らせに泣きじゃくる描写もありながら、母の叱咤にはまるで人格が変わったかのように従順。ボーが少年のように甘えてしまう姿(原題「Beau is afraid」はおそらく「Boy's afraid」のダブルミーニング)は母の愛の圧による負の産物にも見えた。また一方で、ボーが父親の幻影を渇望する姿もちらほら。あの現実とも妄想とも取れる森で出会った男に対する動揺もしかり、そもそも冒頭でボーが帰省に気が乗らなかった様子は、それが父の命日という記念日で、父の死を目の当たりにするのを本能的に拒んだからではなかったか。そう考えると、本作で描かれた一連の災難は、ボーが帰省を遅らせる、あるいは免れるために能動的に受けたものとも取れる(ラストの裁判のシーンでもそんな表現があった)。現実と妄想の線引きはあまり明確にされていないが、それが妄想だとすればなおさらそう思える。

◆ラスト
やがてたどり着いた裁判所(のような場所)。ボーは森で出会った父(のような男)と同じような爆発の仕方でその姿を消す。その後エンドロールではあの大勢の観衆の姿が消えており、裁判のシーンはボーの妄想と取ることができる(つまり父親も妄想)。そもそも裁判長もボーの弁護人もおらず、いるのは母の弁護人だけ。つまり、あの弁護人の声はボーが自らを律するべく作り上げたボー自身の別の本音とも取れる。そこには母をハメた過去や、辱めを与えた描写があり、手すりを割り落とすほど怒る母の姿も含め、あれこそボーの懺悔の表れではなかったか。観衆の白い目に覚悟を決めたボーの表情が印象的で、本作で唯一“おそれていない”、その最期だった。そして気になった事が一つ。本作は“水”が象徴的で、ボーが精神を安定させるために飲む薬は、水がないと飲む事ができない。ボーの姓の一部Wasserは独語で、名前ボー(Beau)のEauは仏語で、それぞれ水を意味する。冒頭の羊水音も含めて、水はボーの真髄であり、心身を安定させるものでもある。ボーの爆発後、ボートの下でもがく描写には、微かに少年ボーの声が聞こえた気がした。ボーがあの裁判妄想の中で自らを律し、水の中に消えたという表現は、まるで羊水の中へ潜るようでもあり、母の元へと退化し帰化していった…そんな風に解釈してみても面白い。いずれにしても、アリ監督という鬼才が3時間の重量で投げかけてくる問いに、一度の鑑賞で咀嚼できることなどほんのわずかなのだろうけど。

◆関連作品
○「ミッドサマー」(’19)
アリ監督の前作にして代表作。頭が錯乱します。プライムビデオ配信中。
○「へレディタリー 継承」(’18)
アリ監督の長編デビュー作。理解するには悪魔崇拝の知識が必要。プライムビデオ配信中。

◆評価(2024年2月16日時点)
Filmarks:★×3.7
Yahoo!検索:★×4.0
映画.com:★×3.8

引用元
https://eiga.com/movie/99338/
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ボーはおそれている
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