きゅうげん

哀れなるものたちのきゅうげんのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

奇才アラスター・グレイ原作!
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鬼才ヨルゴス・ランティモス監督!

若い医学生は知遇を得た天才外科医からひとつの仕事を頼まれる。それはある女性の成長経過を観察することだった。言動があまりに幼稚で突飛な彼女は、外科医による衝撃的な実験の結果うまれたフランケンシュタインズ・モンスターだったのである。
愛が芽生えたふたりは婚約するが、なんと彼女は外科医の弁護士と駆け落ち。
“見た目は大人、頭脳は子供”な一人の女性の、めくるめく世界的成長譚が幕を開ける。


ランティモス監督らしいシュールかつナンセンスな美的感覚が、うつくしい美術やおどろきの撮影などによって、摩訶不思議に華ひらいた作品。
原作はスコットランドを代表する作家アラスター・グレイの同名小説。……と言いたいところですが、100年以上前に出版されたある回顧録的私小説とその作品にまつわる手紙とをグラスゴーの博物館職員が偶然発見、調査を行い註釈を付したうえでアラスター・グレイが編者として発表した……という構造的な形式をとっている作品なんです。

原作も映画も訴えるテーマは同じく「女性」。
この世に生を受けたばかりの主人公ベラは、19世紀当時の男性社会における搾取的・抑圧的な道徳意識・規範意識を徹底して拒否し、先進的・開放的な気風と姿勢で多種多様な物事を自ら学んでゆきます。そして自分が見聞きした世界・現実を少しでも良くするために、成長した彼女は医者を志すという選択をするのです。
(原作では、ベラがグラスゴー大学初の女性医師となった、という後日談も見られます。)
“治療”されるべきは自由な女性性ではなく有害な男性性であり、“哀れなるもの”とは彼女が救おうとしている人々を指し示すとともに、また一方で断罪されるべき愚かな男たちをも意味する、と言えるのではないでしょうか。
夢幻的な映画手法の裏には実直な命題が横たわっている……、ランティモス監督らしい人間讃歌の作品でした。


……がしかし、原作にはより深く重い衝撃の真実が。
ピグマリオン・シンドロームなゴドウィン、プレイボーイのウェダバーン、強権的な軍人気質のブレシントンなど男性陣に付与されているキャラクター性は共通するのですが、主人公ベラに決定的な知的影響を与える船旅での出会いは、良心的な老婦人と皮肉屋の紳士ではなく、帝国主義者でファシストの宣教師&社会的ダーウィニズム信奉者の共産主義スパイ、というなかなか役満すぎる布陣なのです。

さらに無視できないのは、先に挙げた「本編・手紙・註釈(と編集)」という原作のもつ重層的構造。これはいわゆる“信頼できない語り手”よろしい文芸的手法に繋がります。
夫マッキャンドルスが執筆した回顧録的・私小説的な作品本編に対して、併録された手紙においてベラはその記述は全くの虚偽虚妄であると忠告・宣言しています。
前夫ブレシントン将軍との仲は良好で、弁護士ウェダバーンは趣味のあう友人で、そして何よりゴドウィンこそ自分が最も愛した男性であったとベラは告白し、夫マッキャンドルスの嫉妬深く陰湿な「彼女をいちばん理解してるのはボク」幻想の欺瞞を告発する、正反対な内容になっているのです。
つまり構造的な“信頼できない語り手”の趣向は、男性キャラクターのジェンダーロールを揺るがす機能を果たしているのです。
そしてそんなベラによる記述も、再調査・再編集をしたアラスター・グレイの註釈によって相対化されている……といった感じ。

それに加えて原作は「ファック!」がベラの決め台詞。
所作仕草はもちろん言葉遣いにも並々ならぬ厳格さがあった作中当時において、ブレシントン将軍を追い払うクライマックスの「ファック・オフ!」は、青天の霹靂であまりにも痛快。
(それまで明朗快活かつ上品で理知的な会話劇が多かったこともあり、この場面のFワードは筆舌に尽くしがたいカタルシスがあります。)
できれば映画にも残してもらいたかったところです。


ランティモス監督の映像化を腐すつもりは毛頭ありませんし、実際のところ映画は100点満点中150点くらいの大傑作なのですが、しかし!
……こればっかりは原作小説がめちゃくちゃおもしろすぎる。100点満点で300点は出してます。
アラスター・グレイ、ヨルゴス・ランティモス、ありがとう!
エマ・ストーンの演技も凄まじく素晴らしかったです!!!