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市子のgyoのネタバレレビュー・内容・結末

市子(2023年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

もともと劇場で上演された作品であるということで気になって鑑賞。

ひたすら不安に襲われた。
もしかしたら自分の周りにも市子みたいに生きている人がいるかもしれない と思ったら、自分が普通に生きてきていることにとても苦しくなった。

家庭環境の複雑さからくる市子の歪んだ愛情表現がとても上手に描かれていた。買っていないたまごっちを「さっき貰ったから!」と言って梢に渡すシーン、不器用とかを越えている感じがゾワゾワした。幼少期に自分から人に踏み込んでみたら友だちではなくなってしまったから、学生時代は女の子とあまり関わらなかったのかなと思った。

北の歪な恋愛感情が物語に進むにつれて分かっていった。宗介視点で北を見た時、ストーカーは何かの勘違いか?と思ったけど、ちゃんとストーキングしていたり、ヒーローという言葉に囚われていたり、それが大人になってもそのままなのがキツかった。「川辺は自分しか救えない」と本気で思っているからこその彼なりの正義だと思うと何も言えないし、利用されていることに気づかないのは幸せなのかもしれない。

キキちゃんと長谷川がケーキ屋さんの前で話すシーンが1番すきだ。キキちゃんの「生きてますよね?」に対してすぐ言葉を返さず何度も頷く長谷川。そのカットの間、ずっとキキちゃんの顔しか見えないのがすごく良かった。そのあと原付を運転する後ろ姿が流れるのも。顔が見えなくてもどんな表情してるか想像できた。

帰ってきたなつみが月子が息絶えているのを見て、泣くとか怒るとかじゃなく「ありがとね」と言うのあまりにも切なかった。

市子が月子として生きていた時期は色んな嘘に塗れていた。でも、市子として名乗り生き始めた時からは本当を生きようとしていたのかなと思った。

最後の語りで長谷川のことが本当に好きだと言っていたし、2人でいる時間の映像で市子がよく笑っていて心の底から幸せそうだった。いろんな視点で語られる度に長谷川の愛した彼女は本物の市子なのかなと疑った。けど、ケーキ屋さんを一緒にしようと誘ったキキちゃんに「嬉しかったと思います」と言えるのは長谷川の前の市子が本当だったからだと思った。それをおもって泣いてしまいそうだった。
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