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けもの(仮題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

けもの(仮題)(2023年製作の映画)
4.0
[人類に向けたフォークト=カンプフ検査] 80点

大傑作。2023年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。ベルトラン・ボネロ長編10作目。一応の原作はヘンリー・ジェイムズ『密林の獣』。三つの異なる時代の同じ男女を描いている。主軸となるのはAIに支配された近未来で、人間の感情を消し去るためにDNAを浄化する手術を受けるガブリエルの物語である。彼女の意識は1910年(パリ洪水)、及び2014年(地震)という天災の年にいたガブリエルに飛び、その時代で毎回、運命付けられた相手ルイと邂逅を果たす。『パストライブス』より『パストライブス』しとるやん。同じ台詞やモチーフが繰り返され、登場する度に意味や表象するものが少しずつ変質していくという器用さには脱帽。脱帽しすぎて前日に観たカテル・キレヴェレ『愛する時』の記憶まで混ざってしまった(どっちも明代の壷を破壊する映画です)。それでいて、どのモチーフも暗号的にはならず、それぞれ鮮烈な印象を残すのは、やはりボネロの手腕といったところか。例えば"室内に鳩がいる=近親者の死の暗示"というモチーフは何度も登場するが、誰が死ぬかというのは登場する度に異なり、毎度ちゃんと緊張感を与えている。人形というモチーフも幾度となく登場し、それは最終的に感情を失った人間そのものへと変化していく。とここで思い出したんだが、"過去しか残らず停止した現在"とか"自由意思がないなら人間とバービー人形は同じじゃないか"といったテーマは前作『Coma』でも登場していた。人類がようやくコロナ禍と折り合いを付けたと思ったら、今度はAI急成長で実存の危機が訪れると。映像が針飛びしたように繰り返され、グリーンバックの映像までもが挿入される2014年篇終盤の展開は、もしかしたら君もそうなのか?というフォークト=カンプフ共感度検査を行ってるのかもしれない(というか寧ろ1910年篇と2014年篇は人間を従順にさせようとしたAIが作り出した物語かもしれない)。

原作は未読だが、漠然とした何かに怯えながら、それが愛する人に降りかからないようにと結婚を避けていた男が、最終的に実はただ人生から逃げていただけだったと気付く、という話らしく、ルイの"愛を取るか恐怖心を取るか"という言葉に集約されている。時代的にも最も原作の面影を残してそうなのは1910年篇だが、モテないことに呪詛を撒き散らしつつ、実はモテないという信仰に身を投じていただけだったという2014年篇の悪夢的な物語も奇抜だが骨格は確かに似ている。そうなると中心人物の属性が1910年篇と2014年篇では入れ替わってそうで、そこには仏語と英語も絡んできそうだが、正直そこまでは追えず(中身が入れ替わってるのかは謎だが男女が入れ替わるのは『ティレジア』っぽい)。三つの時代にそれぞれ"けもの"となる出来事或いは人物が登場するが、結局のところ機械に対する嫌悪感や不信感(工場の自動化、PCウイルス、高セキュリティ住宅、AI等々)が先にあり、天災のみがそれを破壊しうるという説話にも見えた。まぁ結局言ってしまえばよく分からんのだが、その分からなさも含めて楽しい作品だった。

追記
AIの声はグザヴィエ・ドランらしい。元気にしてんのかな。あと、ヴェネツィア上映時もそうだったが、エンクレがQRコードだった。みんな怯えながらスマホかざしてて草でした。
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