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利休のikumuraのレビュー・感想・評価

利休(1989年製作の映画)
4.0
野上弥生子の原作「秀吉と利休」を読んでいて映画にも興味が湧いたので鑑賞。
実は大柄で小説にもそう出てくる利休を演じる三國連太郎の迫力、秀吉役の山崎努の狂気。
そのほか豪華メンバーは30年前の映画だけに「誰だっけ。。見覚えあるのに」状態(笑)
利休の妻りき。。三田佳子かっ!!
徳川家康。。中村吉右衛門!!そういえばあんな顔!
細川忠興。。中村橋之助!可愛い!(笑)
などなど。
実は中村獅童も出ていた模様。

地球儀のドアップから始まる物語。
信長に接見する宣教師たちとの出会いから、秀吉は果てなき領土欲を、利休はうちなる美の追求を、ということか。

本能寺の変を経て覇者とその茶頭としての関係を結んだ秀吉と利休の蜜月は小田原攻めまで続く。
力を体現する秀吉、美を体現する利休とまずは言えるが、
利休はただ美をフェティッシュに愛でる人ではない。
あくまで人間の未完成な営みとして、確立された価値基準からも自由な美を追求する。
その自由を確保するためにも、権力にも近づく必要があり、
また人間的にもそれだけの才覚があったのでフィクサー的なポジションを得て活躍する。
秀吉もまた、美のことはよくわからないが利休の凄さを認めこの時点では若々しくお茶目な面も見せる。
しかし秀吉を怒らせ所払いになった山上宗二の件が不吉な予感をもたらす。

実は秀吉の弟の秀長という人格者がこの二人のバランサーだったのだが、
この弟の死をきっかけに2人の仲にも亀裂が。
利休にも、自分自身がバランサーであるという傲りがあったのだろうか。
大徳寺への木像設置が問題になっていくのは、後付けとはいえ「ほら言わんこっちゃない」感。
生きたい、死んだら美の追求も何もない、と分かりつつ、
芸術家としての自由をまげるわけにはいかない利休。
秀吉も、もはや権威づけとしての必要以上に利休に認められてもらいたい切なさが溢れ、
哀れを催す凄まじい演技。
というかトランプかっ!てくらい目の周りの化粧が目立つ秀吉の顔だがさらにそれが般若のようになっていく。
この2人の対立に勝者はいない。

小説でも思ったが、この2人のアンビバレントさに対し石田三成(と前田玄以)の悪役感は分かりやすすぎるかも。
秀吉の権力を官僚的に集権化する上で利休を邪魔とみなし、
彼を排除し朝鮮出兵に邁進する。
野上弥生子の反戦観も反映されているのだろう。

しかしなにより実際の国宝も用いた道具の数々で彩られた画面の美しさ、緊張感。
茶碗が窯から出された瞬間から冷めて完成形を見せるまでの美しさ。
政治も芸術もはかない虚の世界だけど、その虚の世界に何かがある、と思わせるような。

ところで最近は「利休は切腹しなかった」説もあるけどどうなんでしょうか、っていうちゃぶ台返し(笑)
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