肉浪費Xアカウント復旧無理ぽ

コンクリート・ユートピアの肉浪費Xアカウント復旧無理ぽのレビュー・感想・評価

コンクリート・ユートピア(2021年製作の映画)
3.8
年末終末から年を明けても韓国(日本公開)では『年始終末』映画として悪夢は続く。ベクトルは日本からアメリカへ、世界へ
そのアパート(巨棟マンション)の一棟だけ辺り一面全壊で韓国?世界?全域なのか不明の地盤隆起が発生。それでも生き残った周りの居住者以外の生存者も極寒の中、暖を求めて集合し始め事件も発生した頃にマンション民の中から「英雄/独裁者」と視点となる新婚夫婦含む『兵士/民衆』の誕生

そこから、オレら(マンション民)か?オレら以外か?排他的に略奪の「生存戦争」が始まっていくのだ

哀しいかな。年始一発目映画として"絶好の問題作"として気分を振り落とされるのはわかっていたので、違った年始映画としていっちょかましてみますか!と意気揚々と観る予定でしたが、その正月にあまりにも"タイムリー"な事が起きてしまったので、個人には幸いながらそうゆう気でもなくなったんですよね…(ただ正月特番、前期秋季アニメ、ゲームの消化で優先度が落ちただけとも言える)
で、そこに腐肉を漁るハイエナのように「なんて予言的映画なんだ!」「地震大国日本人として必見だ!!」というふうに興奮気味に自分への注目材料として誇張気味に水を得た魚のように語る下劣な輩が絶対に一部出てきてしまう…
そう、『イニシェリン島の精霊』のレビューでなにも解釈・解説ができもせず、識者のコピペしかできないにも関わらずインテリぶって"考えさせる"と理由なく高評価をつけるような"なんちゃって"な輩です。

この映画は、そういったしょうもない輩に捧げる、評(あげつら)う""中傷的カウンター映画""の観点で見るなら、間違いなく"考えさせる"し、"必見"という興味深さは抽出してくれました。

面白いのは、"ヴィラン大将(総統)"役のイ・ビョンホンさんが主人公でなく、パク・ソジュン&パク・ボヨン夫婦が"主役視点でありながら「道化」"であるということです。そこにとてつもない"リアリティ"を感じ得ずにはいられないのです…
この新婚夫婦の"脳死の随従思考"が未曾有の危機に対して"リーダーに行動を丸投げしたい『極・一般人』"のリアリティそのものなのです。
夫婦で思考も果ての主義も変わっては来ますが、「体系」として"👇あなたたち"で私たちの姿そのものなのです。
本編で、のちに他コミュニティに対して略奪と蛮行を働くようになるマンション住民の「守備隊」が発足し、パク・ソも参加しますが、それを持病を理由に"義務を果たさない"嫌な印象を持ちやすい男住民が出てきますが、彼は"ある行動"を起こしたある意味では誰よりも"崇高"な人物に昇華される。
あなたたちは嫌なヤツの"彼でさえない"のです。自ら"主義・主旨"を貫いた希少な人物ではありえないのが『普通(一般人あるいは日本人)』の"抗えない習性"なのです。
この件には夫婦の妻が酷く関わってはきますが、その脳なしの行動の顛末を鑑みるにやはり「夫婦」こそが私たちの"比喩"なのでしょう。

"唯一マンション"のリーダーとして見出させる男イ・ビョンホンさん役は、韓国トップの"イイ男"に位置する役者だと思うのに、"オーラ全消し"状態の普通のおっさん、ぶっちゃけ遠藤憲一さん寄りに見紛うくらいの役作りはさすがですね。それはパク・ソジュンさんもそうで、未曾有災害で韓国映画はキメ過ぎることなどない「一般人」的リアリティを秀逸に演出する。
序文でベクトルは「アメリカ」と書いたように、この映画のテーマは、韓国お得意の"格差"よりも"移民政策・差別"にあります。
要はビョンホンさんの"排他的独裁リーダー"はすなわち"トランプ批判"を彷彿とさせるのですが、そんな起業家セレブの"上級国民"が権威を高めていくのではなく、"謎の一般人"が勇気ある功績により"見出されて"てその"狂気に随行していく"ってのが今作の"ミソ"。

仮に彼の正体が、"引きこもり中年"だったならばテーマが『パラサイト』寄りに類似性も編み出して"既視感"的なものも同時に感じて、賛否ありのより"皮肉的"な民族・人類的阿呆さに舵を切れたかもしれませんが、そこに「ミステリ・サスペンス」要素を絡めることで"謎"を終盤まで引っ張れるし、下手すれば"共感性"すら秘めてるのが、このリーダーの面白いところ。
この映画のテーマ・(ほとんどの)人物に共通しているのが"自陣(土地・家族・民族)領域の保存・防衛"の精神が「マンション一棟」の"比喩表現"として現れてることだと思います。

逸脱した「専守防衛」が果てには『積極防衛』になる"皮肉"は、リーダー(首相、国政)によって都合よく"利用される"のは、アメリカ、世界へと言って『日本』に返ってくる"我が事のように"考えるべき示唆も含んでいますしね。(別段政治的提起を発したいわけではない)
とここまで言うと、やっぱり『イニシェリン島の精霊』なんてwと笑い飛ばしたいくらい"わかりやすく"落とし込み易い「隠喩映画」であることがわかりますね?😉

だからこその強烈なオチ(エンディング)ですよw
この"強烈な皮肉"は、去年(2023)『終わらない終末』、『トーク・トゥ・ミー』でムフッ❥ときた"皮肉エンディング"に比類すべきになりながら、「民族意識」の枠を超え、ここにきて"性善説"をぶちかますかのような"韓国映画にあってはならない(皮肉)"希望的観測で締めくくるなんて…頭が混乱するような"客観的(ワイド)視点"も強要してきますよ?

そういった意味では実に"教訓と示唆"に富んだ映画といえます…なっ😉