黒川

異人たちの黒川のネタバレレビュー・内容・結末

異人たち(2023年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

原作未読。大林版も未鑑賞。

後悔のない人間はいないだろう。特にそれが2度と会えない人に対してのものなら。

脚本家のアダムはロンドンのマンションに住んでいる。その建物には自分と6階の住人・ハリーしか住んでいないらしい。あまりにも静かで音楽やテレビでは寂しさが埋まらないと、ハリーはアダムの元を訪ねてきた。アダムはやんわりとハリーを帰した。
翌日、古いアルバムを見返していたアダムは、昔住んでいた郊外の家を訪ねてみた。そこには12歳の時に交通事故で亡くなった両親が彼を待っていた。

序盤ちょっとだるいな〜とか、ワオ濃厚とか、わかるよその気持ち…とか、いろんな感情に支配されていたら突然ジェイコブス・ラダー的なホラーと狂気が襲ってきてあの結末。なんて映画だ…

アダムは両親を幼い頃に亡くしている。それがいつまでも彼の心にしこりとして巣食っていた。そこに追い打ちをかけるように彼のセクシャリティとそれに対する世間の目がまとわりつく。最初の男にしてイヴの夫と同じ名前を持つ彼がクイアであることはとても意味深長だ。30年前の世界の両親にカミングアウトをするという決断。それはどこかやり場のない感情をカウンセラーに吐露するようにも見える。当時親に言えなかったことを言語化し、自分の中の子供を癒す作業のようだった。僕も愛が何かよくわからずに生きてきた。それは一種の子供の頃の(アダムとは別の)喪失感からきていると思う。クイアである監督自身の私小説化した本作は、だからと言ってそのような人たちだけのための物語にはなっていない。クイアの歴史や世代間格差に詳しく言及してあるが、本作はどうしても世間と馴染めず、独りでどこかに閉じこもっていた人間たちへの物語であった。30年で世界は少しずつ変わってきている。
喪失感を埋めるかのようなハリーという存在が彼にはいた。それでもアダムはハリーのことを愛しているかわからないと言った。そしてあの結末なのである。アダムのことに現れる人々と彼らとのやりとりは一種の贖罪のようで、自分の犯した罪(自身がゲイであることとハリーを追い返したこと)を受け入れる作業であり、またその失った者たちの鎮魂でもある。ところどころでアダムとハリーの用いる大麻やアルコールにドラッグがその幻覚性で物語の時空を歪めるのが妙に心地よく恐ろしい。これは一体何だったのか?
黒川

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