奈緒さんファンとして鑑賞
昔の陰陽師シリーズを踏襲しつつも、当時は実現できなかったCGや音楽を使い、いわゆる陰陽道の呪いもどこかにタネや仕掛けがあるマジックの一種であるような見せ方を心がけていた。(序盤の蛙など。昔の陰陽師では、蝶が真っ二つに切り裂かれていた)
冒頭、かなり丁寧に平安京の説明や大内裏、陰陽寮の説明が入るため知識の面で置いていかれることはないだろう。さらに言えば、北村一輝が当時の話し言葉を再現しながらセリフを言っているが、ナレーションで現代語翻訳…ということになっており、何重にも観る側に寄り添った作りとなっていた。
それを承知で鑑賞しないといけないが、やはり意識と無意識の話になった途端、やはり現代語訳に頼りすぎてるのでは?という気もした。無意識は、西洋哲学的には新しい概念としてフロイトあたりから提唱されはじめたものであるし、仏教ではむしろさまざまなことの概念化を否定するような指向性がある。(ありのままを見つめなければならないのに、概念として状況理解をすると、その概念に囚われるという人間の知覚に関する記述が、仏典には多く記述されている)
意識の下、つまり無意識に入るという話は、インセプション?のようにも思われたが、劇中の陰陽道では単に集団催眠の呪いということになっており、当時の呪術的世界観を考えればギリギリ許容範囲…という印象を持った。
安倍晴明が天皇付の陰陽師になるまでの前日譚であることから、こちらもある程度興行が良ければ次作があるということだろう。
ビジュアルで推すのか、ストーリー展開で推すのか、あるいは単に世界観の再現を徹底するのか、方向性を定めた方が作品としての芯ができる気がした。