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WILLのdm10foreverのレビュー・感想・評価

WILL(2024年製作の映画)
3.9
【「綺麗ごと」と「キレイゴト」】

不定期開催「dm的映画祭inあんこはつぶあん派」のラストはこちら『WILL』でした。

(あらすじ)
俳優・東出昌大が狩猟をする姿を追ったドキュメンタリー。
猟銃を手に山へと向かった東出が、電気も水道もない場所で、狩猟で獲った鹿やイノシシを食べながら地元の人々と触れ合う日々を記録。なぜ俳優である東出が狩猟をしているのか、そしてその経験は彼に何をもたらしたのか。
BiSH、クリープハイプ、藤井風らさまざまなアーティストのドキュメンタリーやMVを手がけてきた映像作家・エリザベス宮地が監督を務めて描いた。また、ラップグループ「MOROHA」が音楽を手がけ、自身も出演。
心の根底に混沌、矛盾、葛藤を抱える東出昌大というひとりの人間の姿を、MOROHAによる渾身の言葉とともに映し出す。(映画.comあらすじより)

奇しくも先に観た「ペナルティループ」に続いて「トラブル俳優」が出ておりましたわ、えぇ(笑)

それにしても・・・・
「東出昌大」とは何とも不思議な男だ。
あれだけマスコミやワイドショーを賑わせた渦中にあっても、どこか他人事のような飄々とした態度をとってみたり、かと思えばフワッと隠遁生活のような事を始めてみたり。

変な話、何故マスコミが彼を追い続けるのかが不思議だった。
「あの一件」は確かにセンセーショナルなスキャンダルだったし、後から出てくる詳細なんかも結構エグいものもあったし、何より杏ちゃんというベビーフェイスを傷つけたという点で完全にヒール側に堕ちたんですよね。
そうなんだけど、ぶっちゃけ「あの一件」が徐々に収束して以降の彼について、そこまで興味を持っていた人っている?って感じ・・・。
俳優としてではなく、一人の男としてね。

離婚も成立し、法律的には「フリー」である彼がどんな女性と付き合おうが、どんな生活をしようが、それは興味の有無や彼の事が好き嫌いという以前に「放っておいてやれよ」と。

って言っている自分がこのドキュメンタリーを観てるのも、矛盾してるっちゃしてるんだけどね(笑)

でも、なんか不思議な作品(映像)でしたね。
突き放した言い方をすれば、理屈っぽいしキレイごとにも聞こえるんですよ。

≪都会の生活には何も残っていなくて、そんな時に「命」と向き合うことで・・・・≫みたいな。

確かに「生きる」ということは少なからず何かの命を奪って生きているはずなのに、その奪われていく命というものに目を向けず感謝もしないまま生きているっていうのはおかしいのではないか・・・もっと言えば、その命のサイクルの中には当然人間だって入っているんじゃないのか。
食うか食われるかの関係性の中で人間は「生かして」もらっているだけなんだよ、と。

本当にその通りなんです。
それは常識を通り越して「正論」なんですよね。

なんだけど、それを改めて「生き様」みたいにド~ンと出されると、それって「大切なことに気付いた俺」的な意識高い系のヴィーガンとあまり変わらんかな・・・って。
別に彼ら(東出君以外の現地の方々も含む)は、ヴィーガンでもベジタリアンでもない普通の人。
生きるために獲物を獲って生活をする、それだけ。

確かに「Life」というもののメカニズムを知ることは大事だし、感謝することも大事。
だけど、どんなに知ってもどんなに感謝しても、実は現状は変わらない。
テメエで獲って食うのか、他人に獲ってもらった肉を食うのかの違い。
「自給自足が地球に優しい」なんていうのは単なる自己満足の延長でしかなく、「誰かが作って、誰かが食べている」という事実には変わりない。
「自給自足が地球に優しい」のではなく、「地球に優しい方法で自給自足することも出来る」という似て非なる言葉のアナグラム的変換なのよ、結局。

そもそも「地球に優しく」を突き詰めるなら、地球上から動物(最低でも人類)がいなくなることです。
それが出来ないから「食って、食われて」というシビアな共存関係の中で生きているだけなんです。

マックのハンバーガーの肉は美味くないけど、自分が獲った獲物の肉なら美味く感じる?
僕はその方が「命」に対して不誠実というか、自分勝手な価値観で命に序列をつけているのでは?とすら感じてしまうのです。
「命を頂く」ことに何も違いはないのでは?
もし違うなら、マックのハンバーガーになった牛の尊厳はどこに消えるん?
うちの息子は「美味しい」といって残さず食べてるけど、それだけでは足りないのかな?
猟銃担いで山に行って自分で獲った肉以外に「命」の尊厳は存在しないのかな?

・・・でもね、そういう僕の思想もどこか「鏡映しのキレイゴト」のような気もするんですよね。
なんなんだろ?
正論を言われて「そんな事わかってるよ」って言いながらも「そんなの理想論だ」と突っ返して、結局は自己都合を優先して「その他大勢と同じ消費社会の一員」として生きることを選んだのは自分。

自分自身が正論を言えるような生き方が出来ないから、「そんなのはただのキレイごとだ」と言って受け入れず、かといって今の生き方が正しいか?と聞かれれば間髪入れずに首を縦に振るなんてこともない。

でも、そういう「キレイゴト」がサラッと言えちゃうんですよ、東出君って。
それは嫌味でもなんでもなく、ただ単に彼はそういう男なんだと思う。

物凄く穿った見方をすれば、彼はきっと「芸能界、芸能人」とは一番遠いところの住人なのかもしれない。
向き・不向きともまたちょっと意味が違うのかもしれないんだけど、ルックスとか存在感なんかはもしかしたら芸能人になるための「Gifted」なのかもしれないけど、彼のようなタイプの人間はあの世界は合わないんだと思う。

素の彼の周りにはいつも人が沢山いる。
同年代だけではなく、70歳、80歳と高齢の猟師仲間や田舎暮らしの中で知り合ったその土地の人たち。
根がシンプルな人だからこそ、素の彼を慕って人が集まるのかもしれない。

なんだろうか・・・・。
うらやましいのかな・・・。
別に「離婚したい」とか「一人になりたい」とかそういう事ではなくね。
真っすぐ過ぎるが故に不器用。
そんなに積極的に好きな俳優でもないけど、でも何故か嫌いにもなれない。

確かに彼は自ら犯した過ちの代償としてとんでもなく大きなものを失ったけど、何だかんだで「あるべき場所」に辿り着いているような気もする。

・・・不思議だ。
何故か、このドキュメンタリーからも最期まで目が離せなかった。
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