くまちゃん

デルタ・フォースのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

デルタ・フォース(1985年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

今作はほぼ全編通してイスラエルで撮影されており、登場する各国の空港もイスラエルのベン・グリオン国際空港で撮られている。監督を務めたのは80年代から90年代にかけて様々な中低予算映画をヒットさせてきたキャノン・フィルムズのメナヘム・ゴーラン。ゴーランはアンドリュー・デイヴィス並に数多くのマッチョアイコンたちと仕事をしてきた。
その中でも幾度となくタッグを組んだチャック・ノリスの功績はとてつもなく大きい。キャノン・フィルムズはチャック・ノリスを手放さないために当時としては異例の10年契約を結ぶ。チャック・ノリスは空手の時代は終わったと冷酷な判断を下したハリウッドとは正反対な態度にこの契約を快諾したという。キャノン・フィルムズはその後倒産し、チャック・ノリスもいつしか遺物と化してしまった。しかしインターネットの普及と共にチャック・ノリス・ファクトなるアメリカンジョークとして未だにカルト的に愛されるのは当時の熱狂とキャノン・フィルムズ、チャック・ノリス、両者の固い絆があったからなのではないか。

今作は単なる勧善懲悪の古臭いアクション映画ではない。複雑に練られたプロットと容赦の無い展開はアメリカン・ニューシネマの名残りを感じることができ、今見ても純粋に娯楽として楽しめる。
前半はハイジャックというテーマとジョージ・ケネディの出演によってかなり「エアポートシリーズ」を想起させる。

マッコイの上官アレクサンダー大佐を演じたのはリー・マーヴィンである。その強面な風貌からキャリア初期ではB級の悪役が多かったリー・マーヴィンも、60歳を超え見た目に年齢が追いついた感がある。いぶし銀とはまさに彼のような人物を言うのだろう。それに納谷悟朗の嗄声も絶妙にマッチしていた。今作がリー・マーヴィンの遺作となったのが実に残念でならない。

冒頭では作戦行動の失敗が描かれ、中盤も失敗により死亡者を出し、終盤は作戦の成功と仲間の死で締めくくられる。デルタフォースは決して無敵ではない。成功と犠牲は表裏一体であり、彼らはその均衡の上で仕事をしているのだ。

新世界革命機構を自称する実行犯アブドルは用心深く激昂しているようで冷静な視点を持ち、冷徹なまでの敬虔さがある。己の信じる神以外は全て悪魔だとでも言わんばかりに。

ベイルートにて、密かに乗員が入れ替わる。選別した人質を降ろし、アブドルの同志が乗り込んできたのだ。さらに飛行機はアルジェへ飛んだ。アルジェでは女性と子供の開放が約束される。デルタフォースはその瞬間を狙っていた。迅速に機内を制圧すれば他の人質も救うことができる。だがこの作戦は最悪の形で失敗に終わる。先に降ろされた客室乗務員のイングリットの言によると、人質の一部がベイルートで未だ監禁されているというのだ。アレクサンダー大佐の機転で突入は制止できたがデルタフォースの存在はアブドルの知る所となり、見せしめとしてアメリカ人の人質1名を公然と射殺し機外へ放りだした。これは完全なる敗北であったが、そもそもこの作戦自体アバウトなものだ。ハイジャック犯が2人というのもアレクサンダーの勘による憶測に過ぎない。デルタフォースは筋肉集団であり知能は相手の方が上手だった。

マッコイ少佐はピートと共にベイルート入りし、現地の工作員アミルと合流する。だがアミルは正体が露見し殺害されてしまう。敵の銃口は自然とマッコイ達に向けられた。ここからマッコイたちとと新世界革命機構の激烈なカーチェイスが繰り広げられる。だが敵は判断を誤った。マッコイが逃げたということは、逆説的に自分たちの命が助かったということだ。チャック・ノリスの通った後には死体の山が築き上げられる。彼に匹敵するのはブルース・リーを於いて他にはいない。カーチェイスは追撃者共が全滅したことで幕を閉じる。

クライマックスは爽快の一言だ。チャック・ノリスはその存在自体が無双の権化であり、敵味方含め今までの苦難を全て即座に否定する。

唯一気が晴れぬのは同僚ピートの死であろう。ハイジャック犯の殲滅という快感を演出しながらもなぜ仲間の死という悲劇性を付与しなければならなかったのか。それは推測になるが、チャック・ノリスはベトナム戦争への痛烈な思いを抱いていたためではないだろうか。ベトナム戦争でチャック・ノリスは弟を失いその悲しみが「地獄のヒーロー」の制作に繋がった。それを制作したのが今作の監督メナヘム・ゴーランである。そういった経緯から、単純なハッピーエンドをあえて避けた。フィクションの清々しさとリアルの酷たらしさ、これが今作の最大の魅力と言えるだろう。
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