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成功したオタクのYMのレビュー・感想・評価

成功したオタク(2021年製作の映画)
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性加害者を推したオタクは辛い思いをしたかもしれない。ただ、被害者はオタクではない。それを勘違いしてはいけない。
肉体を、魂を傷つけられた被害者は存在している。
それを、自分の「推し活」の時間と混同すべきではない。今作はそんな風に作られてはいないが、極めて監督の私的な作品なので、オタクの視点で見過ぎると事実を見誤ると思う。

思い出は消えないことが傷になったり希望になったり、正当化したり罪悪感を抱えたり、絶えず揺れている。
推しが加害者になった1人が、「過去を汚されたような気持ちになった」と発言していたのが、自分の人生でも触れたことのある感情で、もうオタクではなくなったけど、当時の哀しみや怒り虚しさのようなものを思い出した。

かなり私的な作り方、全編日記っぽい。
正直この手のアイドル対オタク論、推し活の危うさみたいなのは散々やられているので、真新しい感じはないが、一所懸命自分の中身と、自分の中の推しと、オタクたちと向き合って撮ったのだろう姿勢は好きだった。カメラに向き合った全員がいじらしい。若い。

ミキサーのシーンやグッズのお葬式のシーンでスクリーンを見つめる現役のオタクたち、かつてのオタクたちを一気に「わたしたち」にしたのが見事だった。多分オタクがたくさん観に来ていたからなのだろう、あのシーンで映画館の空気が変わったのを感じた。

朴槿恵に繋がったところはびっくりしたが、撮影者側も含め自分にとっての真実だけを事実のように抱きしめている人々はどの世代にもいる。

若いなりに冷静で優しさを持っている彼女たちでさえこれだけ不安定で、ぞっとするほどエゴの塊で、強大な「愛」という何かよくわからない爆弾のようなものを抱えて生きているのだから、偶像としてつくりあげられた「人間」に人生を賭すということの無謀さをしみじみと感じられた。
その無謀を商売として大きな市場を築いていることの恐ろしさよ。

『「推し」の稼ぎはファンがCDを買ったからあるものなのだから恩返しを』という主張、分かる反面その理屈だと、「推し」の労働は全く無視することになりはしないか。

アイドル、推し として、他人を「イメージ」として見つめることは、そのアイドル、推しの本来の人間性を透明にしてしまうことでもある。それは愛や信じるなんて言葉にされたりもするけれど、時に事実を見えなくしてしまうことでもある。まさにfanatic。

それにしても、かなしい思いをしても、また新たな魅力的な偶像を見つけ出し、追うのをやめられない、やめないのは一体なぜなんだ。単純に流行りものとして追う人もいれば、オタクは依存症と作中でも言われていたがそっちの流派も多いのだろうな。推しに認知されることや、ファンダムの中で名が通ることで満たされる自己顕示欲。受け入れられる喜び。つながれる安心。埋まる時間。そういうものを一度知ってしまうと、やめられないのかな。
興味深かった。

他者と自分の人生を同一化するのはやめましょう……深く心に刻む。
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