shibamike

死刑執行人もまた死すのshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

死刑執行人もまた死す(1943年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

実際の事件に着想を得たフィクションらしいが、素晴らしく素晴らしく素晴らしかった。

ナチス副総統のハイドリヒ。
この人は「死刑執行人」と呼ばれ、人々から恐れられていた。

そんな人間の皮を被った悪魔が、ある日チェコで暗殺される。
トップ2の突然の死亡に、ナチスに激震が走る。歓喜を圧し殺して、密かに沸くチェコ市民。

チェコに自由が戻るのでは?といったささやかな期待・希望は即座にナチスによって踏みにじられる。
ナチスが取った行動は「暗殺者を逮捕するまで、チェコの市民から400人(ナチスが選ぶ)を人質にして、毎日数名ずつ銃殺する。」という容赦ないものであった。

主人公マーシャ(うら若き乙女)の父(大学教授)も400人の人質に選ばれてしまった。
マーシャがこの映画の主人公たる由縁。それは美少女であるからでも、父が人質として秘密警察ゲシュタポに連行されたからでもない。マーシャが主人公である理由は、ハイドリヒ暗殺の犯人(英雄?)を目撃していたためである。

おまけにマーシャは暗殺者に親切心を起こし、ナチスから逃がしてあげたり、家に泊めてあげたりまでした。
父がゲシュタポに連行された後、マーシャは真っ先に思う。
「あの暗殺者の人に会って、自首してもらわなくては!父がナチスに殺される!」

暗殺者の居場所を突き止め(病院の医者だった)、必死に自首をお願いするマーシャ。しかし、暗殺者スヴォボダ(面倒くせえ名前!)は自首を断固拒否。
「あなたを助けたせいで、私の家族がメチャクチャになってしまう…」と絶望するマーシャ(暗殺者を手助けしたことが発覚した家族は殺される)。それでも自首はできないと頑ななスヴォボダ(面倒くせえ名前!)。

「スヴォボダ(面倒くせえ名前!)に人の心は無いのか?自首しろよ!」と自分も思ったが、事情があった。そもそもハイドリヒ暗殺はチェコの抵抗運動組織(レジデンス…ではなくレジスタンスというヤツであろう)が計画したもので、スヴォボダ(面倒くせえ名前!)一人で身勝手な行動は禁じられていた(良心の呵責から来る自首でさえも!)。

大好きな父が殺されてしまう…。気が気でないマーシャ。気が気でない映画館の自分。しかし、ある一人の人物の行動を目の当たりにしたことでマーシャの意識が家族本位から変わりだす。その人物とは八百屋の老婆。マーシャと暗殺者スヴォボダ(面倒くせえ名前!)が初めて出会った際に、この八百屋の老婆も居り、情報を掴んだゲシュタポに老婆は拷問されていた。それでも、老婆はマーシャが不利になることを一言も話さなかった。それを知った時、マーシャの心に変化があったのではと自分は思った。うまく言えないが、自分の家族が大変な状況であるが、赤の他人が命掛けで自分の苦難を避けるようにしてくれていた。思いやりというか、何か凄い人間関係なのである。

ここら辺からこの映画は、1家族の安寧よりも1国の自由獲得への執念の炎を燃え上がらせているように自分には見えた。自分の家族が大事なのは当たり前である。しかし、その当たり前が脅かされる異常事態。脅威と徹底的に戦うしかない。自分が犠牲になろうとも。
人質達は自由獲得の為に、永遠に屈しないことを誓う詩を作り、合唱する。
特に感動したのは、マーシャの父が息子に向けて話した台詞。
「もし将来平和になり、好きな本が読め、自分の考えを発表することができ、自由な時代になったとしても忘れるな。自由は買えるものではない。自由は勝ち取るものだ。」
今日を生きている自分の今日も、誰かが戦ってくれたからであり、自分は自由を貰いっぱなしである。

終盤、自由への飽くなき決意と並行してストーリーはサスペンス要素も繰り広げる。このサスペンスがまた手に汗握らせる。ハイドリヒ暗殺の犯人をスヴォボダ(面倒くせえ名前!)から裏切り者のチャカに仕立て上げるのであるが、その方法が凄い。チェコ市民全員が嘘の証言をするのである。市民全員である。会う人会う人全員が自分の記憶と違うことを言うので、チャカは最後精神錯乱になる。ほんのちょっとチャカが可哀想に思えた。市民全員が嘘の証言するって、勧善懲悪のスカっと感もあったが、ゾッとする薄ら気味悪さもあった。
敵のグリューバー刑事が憎たらしいが、有能であったのは良いと思った。マーシャの婚約者にマーシャの不倫現場をきっちり見せる律儀さ(笑)

いやぁ、凄い映画。
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