↓のレビューは。今はもうなくなってしまった映画レビューサイトに、鑑賞直後に投稿したレビューを。こちらのサイトに移行する際に、以前のアカウントにて投稿したレビューになります。
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「今、時代が動いている」
「今、変革の波がうねりをもって進んで来ている」
よくテレビの討論会等で使われる言葉だ。
でも本当にそれが解るのは後々の事であって、この言葉やそれに近い意味の言葉を叫ぶ文化人の胡散臭さは枚挙にいとまがない。
でも自分の周辺で起こる出来事に関して、「ん?これは?」とか。「こうした方が良いのかな?」と言った類の事は度々起こる。
そんな時は「仕方が無いか…」や、「そうゆう時代になったんだなあ〜」とゆう様な気持ちになる時があります。
『鰯雲』には、東京近郊に住む農家の一家とその親戚に巻き起こる時代の波が描かれている。
農地改革によって一部の土地は取り上げられ。跡取りとなるべく息子達は次々と家を飛び出して行き農業に見切りをつけるのだ。
父親役の中村贋治郎はそれを許そうとはしないが、心の中ではこの土地で農業を続けて行く事の限界を感じ始めている。」
舞台となっているのは神奈川県の厚木地域で、今日では東京や横浜のベッドタウンだ。
小田急のロマンスカーが画面に映るが周辺は農地ばかりで、付近に詳しい人ならば今日との変わり映えの激しさに驚く事でしょう。
「みんな東京に行く」…こんな類のセリフがあるが、今では厚木から都心部までは1時間少しの距離でしか無いのに…。
淡島千景演じる戦争未亡人が妻ある新聞記者木村功と不倫関係になるのだが、木村功が東京に転勤になってしまう。2人の間にはまるで今生の別れの様な雰囲気が漂ってしまうのだから…如何に当時の距離感が現在と違うのか解ります。
登場人物の相関図が複雑の為にとっつき難いのは致し方ないところでは在りますね。でも昔の農家って、本家が在って分家が幾つも存在していたんですよね。
分家と分家の間で、いわゆるいとこ同士の結婚が相継いで行われていた時代が在りました。まだまだ恋愛結婚よりも見合い結婚の方が多かった時代。戦後になって猫も杓子も若者が都会を目指し、恋愛結婚の割合が増えて行くに連れて、その様な風習は廃れて行く訳です。
話を映画に戻します。
父親役の中村贋治郎が、表向きは頑固な父親で在りながらも、心の内では理解ある人間像で出演場面は少ないながらも素晴らしい。特に元妻役の杉村春子と昔を懐かしむ場面は素晴らしいの一語です。
確かに「もう時代が変わったんだなぁ!」と感じてうなだれている姿は、何だか貴族と農民の違いこそあれ、ルキノ・ビスコンティ監督作品に於ける『山猫』で、時代の変換を感じ舞踏会が終わった後、1人で街並みを歩きながら感慨に耽っていたバート・ランカスターを思い起こしました。
2008年9月23日 新・文芸坐