YasujiOshiba

殺しのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

殺し(1962年製作の映画)
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ベルトルッチ祭りの続き

備忘のために:

- ここにはまだベルトルッチの映画は生まれていない。あくまでもこれはパゾリーニの映画であり、そのなかでベルトルッチ的なものは、まだそれらしき萌芽が垣間見えるだけ。

- ベルナルドがこの映画を撮ったのは1961年ごろだから(公開は1962年)、1941年生まれということからして、当時は20歳だったわけだ。しかもデビュー作。どうしてそんな若造にこの映画が任されたのか。これはどう考えても、父親アッティリオ・ベルトルッチの力が働いた考えるしかない。

 アッティリオは、著名な詩人であり当時の文化人だった。それだけではない。バリッラやENI などの企業のトップと交友があり、こうした企業が支援する雑誌の編集を任されてもいた。ようするに文化人であり、ローマにあって財界と関係を持つような要人。しかも、あのピエル・パオロ・パゾリーニの友人でもあったのだ。

 この映画は、そのパゾリーニが原案を書き、本人がやる気をなくしたの(『マンマ・ローマ』のアイデアに魅せられていたようだ)、脚本をベルトルッチらがまとめ、それがうまく書けていたので、どうせなら撮ってみないということになったらしい。もちろん才能もあったのだろう。それでも、若干20歳の若者が一本の映画を任される背景に、父親の影をみないではいられない。
 この父の影と、ベルトルッチはその後も戦うことになる。『暗殺のオペラ』はまさにそれ。『1900年』も同じ。父親と息子の確執は、その映画の大きなテーマのひとつでありつづける。
 そしてもうひとつは性の問題。なにせパゾリーニの作品を撮ることでデビューしたのだ。いやがおうでも、そこに踏み込まないわけにはゆかないではないか。

- 話の構造が『羅生門』(1950)に似ているという指摘がある。たしかにそんなところもあるが、ひとりの娼婦の死をめぐる証言の数々を追いながらのオムニバス風の作品。黒澤の映画が真実と証言をめぐるギャップを構造的に描き出すものだとすれば、パゾリーニ/ベルトルッチのそれは、むしろロードムービー風であり、ローマの下町(ボルガータ)の絵巻物のように見える。もちろん暴かれる中心/辺境には、あの「乾いた乳母=死 La commare secca 」が横たわっているのだけれど。
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