2025年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。Johanna Moder長編四作目。ミヒャエル・ハネケ、ウルリヒ・ザイドル、フランツ&フィアラ、ジェシカ・ハウスナーと嫌な映画を作らせたらピカイチな才能が揃うオーストリア映画界に新星登場。主人公ユリアは成功した指揮者で(そこの貴方、指揮者というだけでリディア・ターと比較するのを止めなさい)、夫ゲオルクとの間に子供を切望していた。二人は丘の上にある小綺麗なクリニックを訪れ、不妊治療専門医ヴィルフォート医師のおかげで妊娠することが出来た。しかし、出産当日は出産した瞬間に赤ちゃんを別室に連れて行かれてしまい、翌日に戻ってきた赤ちゃんはほとんど泣かない大人しすぎる赤ちゃんであり、これはおかしい…と次第に暴走していく云々。赤ちゃんは仮の名前としてアドリアンと呼ばれているが、ユリアは頑なに名前を呼ぼうとも申請しようともせず、"それ"と呼んでいる。この仮の名前は『ローズマリーの赤ちゃん』の赤ちゃんの名前と同じらしいのでゾッとしている。子供との絶対的な距離感の演出は、同じコンペに選出されたメアリー・ブロンスタイン『If I Had Legs I'd Kick You』における娘の顔を絶対に映さない演出とも似ていたが、あちらは顔面アップの強迫的な映像が続くのに対して、本作品はオーストリア映画的な厭らしさで語られるのが違いか(伝統の違いとさえ言えるかもしれない)。とはいえ、終盤の5分までは主人公が信頼できない語り手であることを延々と冗長なパラノイア演出で語るだけなので流石にテンポが悪すぎるし、引っ張りすぎた割に衝撃的なオチをばっさり切り捨てるので、なんだか勿体ない。ティルマン・ジンガー『Cuckoo』も似たような"子供への違和感"を描いた作品だったが、早めに背景を明かして中盤からホラーへと舵を切っていたことを考えると、少々甘いか。題名の"Mother's Baby"は"Father's Mabye"へと続く慣用句で、母親に比べて父親が赤ちゃんに愛着が湧きにくいことを皮肉る意味があるらしい。本作品ではそれを逆手に取って、母親が子供に愛着が湧かない様を描いていた。