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Sound of falling(英題)
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『Sound of falling(英題)』に投稿された感想・評価

Omizu
4.7
【第78回カンヌ映画祭 審査員賞】
ドイツのマシャ・シリンスキ―監督作品。カンヌ映画祭コンペに出品され審査員賞を受賞、アカデミー国際長編映画賞ドイツ代表にも選出された。

大傑作。本能に訴えかけてくるような妖しく美しく恐ろしい演出が素晴らしい。女性を描く叙事詩的な作品ながらまるでホラーのように語っていく手腕が唯一無二。

抑圧される女性の欲望や夢、それはいつの時代も変わらない。四つの時代の四人の女性を主人公に時間軸を交錯させながら語っていく。

ある意味では群像劇だが、それぞれが明確に関わり合うわけではない。脚本の巧みさよりも映像力で魅せていく。

幻想的で悪夢的な映像が本当に素晴らしい。観ているだけで不穏な気持ちになってくる。細かいところまで見落としたくないと思える繊細な作品。公開されたら絶対に日本語字幕で見直したい。

これが二作目とは信じられないシリンスキ―監督の手腕には脱帽。末恐ろしい才能だ。ドイツからはこういうスゴい映画が定期的に出てくる気がする。三大映画祭の常連になること間違いなしの監督だ。
[四つの時代の四人の少女たち、或いは幻肢痛について] 90点

大傑作。2025年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。マーシャ・シリンスキ長編二作目。ワーキングタイトルは『The Doctor Says, I'll Be Alright but I'm Feelin' Blue』だった。物語はアルトマルク地方にある巨大農場の屋敷を舞台に、四つの時代に生きる異なる四人の女性たちが曝される性的搾取と屋敷にこびり付き彼女たちを死へ誘う臭いを描いている(屋敷についての物語という点では同じコンペに出ていたヨアキム・トリアー『Sentimental Value』とも似ている)。。20世紀初頭、地主の家に生まれたアルマは、大家族に囲まれて過ごしている。ある日、彼女は自身と同じ顔で同じ名前の死んだ姉がいることを聞かされ、暗い未来に思いを馳せる。二次大戦期に同じ農場で暮らすエリカは、左足を切断されて家の隅に隠されるように暮らしている叔父フリッツに思いを馳せる。1980年代、東ドイツとなったこの地域で、エリカの妹イルムの娘であるアンゲリカは、自身の目覚めつつある性欲を叔父ウーヴェやその不器用な息子ライナーに利用されそうなことに気が付く。現代、寂れた農場屋敷に新たにやって来たレンカとネリーの姉妹は、隣人で最近母親を亡くしたというカヤに出会う。レンカは彼女との出会いに安らぎを見出す一方で、ネリーは屋敷に充満する死の臭いにあてられていく云々。四つの物語は強風の轟音のような音と共に切り替わることで混ざり合うので、まるで屋敷に住み着いた幽霊が彼女たちを代わる代わる眺めているかのようでもある。特に第一部ではアルマが見つけた旧アルマの写真にて、母親が嘆き悲しんでいるのか露光中に顔を動かしてしまい、滲んだケルベロスみたいな状態になっているほぼ心霊写真みたいな写真が登場したり、第三部でもアンゲリカが同様のことをして一人だけ消えかかっていたりしていた。また、四つの時代に共通のモチーフとしてハエが挙げられ、特に第一部では全員が死んだような顔をして無言で食事をする際に、生きてる人の手などにとまっても払いもしない不気味さがある。他にも深度の浅いボケた映像や近くの川の中で撮った映像の多用、会話よりもナレーションが多いことなどから、本作品全体が怪談のようにも見えてくる。

一方で、そこに存在する四人の女性たちの眼差しはあまりにも強固だ。一番強烈な挿話は第三部のアンゲリカとウーヴェ/ライナーのやり取りで、川で泳ぐ彼女の水着を眺めていたり、むき出しの太ももに手を置いてきたり、夜中の部屋で待ち伏せしていたり、一緒に暮らしているせいで様々な危険が日常に混ざり込んでいる。アンゲリカにも恋人がいて性的なものへの興味はあるのだが、身内に向けられるものとは全く異なるため衝突する。第一部のアルマはまだ幼いので自身が性的な眼差しに晒されることはないが、常に死の影に纏わりつかれている。冒頭は葬式から始まり、病弱で常に嘔吐く母親、足を切られて苦しむ兄フリッツ、自分と同じ名前の死んだ姉アルマ、足が不自由で車椅子に乗る姉ヘッダ、農場経営のために売られていった姉リアの存在、そして第一次世界大戦という時代背景は挿話の中で最も色濃く死の臭いを発している。第二部はほぼ尺がないが、エリカは敗戦した東ドイツ地域から逃げ出そうとしていたことが語られており、その背景にはソ連兵による性的暴行があると思われる。第一部から100年経った第四部でも変わらず、年下の子供たちと裸になって遊んでいたレンカはおじさんの目線を感じ、ネリーは家族から離れた瞬間に死に導かれる。彼女たちの存在は、怪談のような語り口によって文字通り"地に足のついていない"ようにも思えるが、彼女たちがカメラに向き合う瞬間の鋭い目線を前にすれば、その存在が強固なものであることが、その瞬間にその場に確かに存在していたということが、瞬時に理解できる。死の臭いの充満し、女性たちを犠牲にすることで成立してきた/生き延びてきた屋敷の中で、彼女たちは歴史に埋もれた"名もなき者"ではなく、確かに存在していたのだ、と力強く描いているのだ。

第一部から第三部まで共通して登場する人物としてフリッツがいる。彼はアルマの兄、エリカの叔父、アンゲリカの大叔父であり、第一次世界大戦への徴兵逃れのため、両親に左足を切断された人物だ。彼は自由に動けない、搾取された側の人間として主流から外されているため、逆に主流から逃れたい人物たちを惹きつけている。第一部では、農場労働者のために強制的に避妊手術を受けたメイドのトルディの避難場所として、第二部ではエリカの欲望の対象として、第三部では言及のみだが重要な役を担っていた(はず、字幕読み切れなかったので要再見)。そんなフリッツが幻肢痛に悩まされるという描写があった。これは手足を失った後も手足に痛みを感じる病気である。英語では"Phantom Pain"と言う。四つの挿話がそれぞれを補い合うかのように繋がる本作品において、その繋がりこそが"Phantom Pain"なのか、或いは本作品こそが我々にとっての"感じられないはずの痛み"という意味の"Phantom Pain"なのだろうか。
4.0
@ベルリン
凄かった。伝統的なドイツ表現主義が、こんな形で身を結ぶとは。女性たちの欲望への弾圧、虐待、そして途方に暮れる悲嘆と沈黙が叙事詩的に綴られる。これを過剰とも言える幻想的な映像で視覚に訴え、音響も加えて感覚に直接的に働きかける。ゴシックホラーのようでもある。暗い川や鰻といったメタファーが、4世代の女性の苦しみを繋げる意匠が俊逸。
言葉では表現が困難で、これは映画以外の何ものでもない芸術だった。

昨日は興奮して記していたが、冷静になって各種の評に目を通すと、この監督がベルイマンやトリアーを敬愛していることが判って、作風にも納得できた。