2025年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。マリオ・マルトーネ長編最新作。イタリア出身の女優/作家ゴリアルダ・サピエンツァは、死後に発表された『The Art of Joy』で知られている。彼女は1980年に友人のアパートから宝石を盗んで転売したのがバレて、レビッビア女性刑務所に五日間入れられたことがあり、そこでの経験が"非常に有意義だった"としてその後の様々な執筆活動に反映されていたらしい。本作品は刑務所での出来事とその後の出来事を時系列をバラバラにして語っていく。なぜそうしたのか?という疑問への答えは"物語を複雑に語ることでしか起伏を作れないから"が正しいだろうというくらいまとまりも連続性もない散漫な作品である。刑務所で出会った若い女性犯罪者ロベルタと(恐らく架空の人物)、出所後も何度か会っており、基本的には刑務所の中での出来事とお互い出所した後にロベルタと一緒にしたことが描かれている。ロベルタがなぜ収監されていたかは明かされないが、重度のヘロイン中毒者であり、出所後も常に彼女の周りには犯罪が付きまとっている。"外側"という意味の原題"Fuori"は、刑務所内外の連なりを意図して引用されているのだろうか…なんて思っていたら、"刑務所の中で彼女たちは自由だった、彼女たちは外にいても中にいるから、外で一緒にいると自分も中にいるような自由に感じる"とか激ヤバなこと言ってたので、もうよく分からない(これに関して、エンクレ中に本人映像で"刑務所が良いとは言ってない"と言及があったけど、映画の構成としては文脈がないままの狂った発言にしか見えなかった、何も考えずにただ同じ言葉を引用するだけだと故人の想いを破壊するだけなのでは)。これ以外にも、キレるとこそこなんだ…みたいなシーンとか色々あって、登場人物の内面が何一つ理解できなかった。