サマセット7

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊のサマセット7のレビュー・感想・評価

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊(1995年製作の映画)
4.9
1995年公開の劇場用アニメ映画。
監督は「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」「機動警察パトレイバーthe movie」の押井守。

[あらすじ]
電脳化やサイボーグ技術が発達した近未来。
内務省直属組織「公安9課」に属する少佐こと草薙素子(田中敦子)は、国家機密を巡って、夜の都市上を暗躍する。
やがて9課は、他人の電脳をハッキングする事件を追ううち、正体不明の凄腕ハッカー「人形使い」の存在にたどり着く。
全身を義体化し、自我の存在に違和感を感じる素子は、人形使いに興味を抱くが…。

[情報]
1995年公開の、押井守監督による伝説的なSFアニメ映画。
原作は、士郎正宗によるSFコミック「攻殻機動隊」。

押井守監督はタツノコプロからアニメ演出のキャリアをスタートさせ、うる星やつらシリーズ、劇場版パトレイバーシリーズと、独自の作風を構築してみせ、カルト的な人気を生んだ。
例えば、実写風の表現、2D手書きアニメと初期段階の3DCGの併用、音響への拘り、現実性の喪失、虚実の混交というテーマ性など、である。

今作は、アメリカのビルボード誌のホームビデオ部門で売上1位を記録し、ジャパニメーションの海外での躍進として、一躍メディアで大きく取り上げられた。

士郎正宗による原作コミックは、1991年に単行本が発刊された。
ニューロマンサー的な本格サイバーパンクSFのストーリーもさることながら、電脳や高度なネットワーク社会に対する衒学的なまでの設定と、それらを説明する膨大な書き込みと脚注を特徴とし、異彩を放った。
絵柄は、マニアックなメカ/サイボーグの緻密な描写とマンガ的な「kawaii」女性キャラクター描写を両方描く。
当時のサブカル=オタクカルチャーのある種の極地、到達点、と言えるような作品であった。

押井守監督は、アニメ化にあたって、原作の魅力的なセリフをピックアップし、核となる設定や主要キャラクターは残しつつ、時間の制約に合わせてストーリーは大幅に変更。
また原作に登場するコミカルな自走AI戦車「タチコマ」は存在自体カットし、絵柄も押井守風の写実的な表現に変更した。
その結果、原作の設定を使いつつ、よりハードで大人向けなソリッドなアニメが現出した。

頻出する市街の風景には、主に取材した香港の風景が参考にされている。
都市の描写には、1982年のSF映画ブレードランナーの影響が如実に見られる。

音楽は、非常に工夫が凝らされており、洋楽的でない、民俗的な、独自のものとなっている。
鈴の音が印象的に使われている。

今作は、いわゆるSF作品だが、その中でも近未来のサイバーパンクと呼ばれるサブジャンルに属する。
サイバーパンクSFの世界では、人間が機械と同化し、意識は情報として、コピー、移動、共有可能となる。
そこでは、時として、ネットワークを介したハッキングが主要な戦場になる。
こうした作品では、自分とは何か、人間の意識とは何か、がしばしばメインテーマとなる。
それは、押井守の描いてきた主要テーマと重なった。

今作は、現在でも国内外で伝説的なアニメーションの一つとして認知されており、高く評価されている。
特に、アトム、ガンダム、マクロス、エヴァンゲリオンなどと独自の進化を続けてきた日本のSFアニメーションが、その集大成として海外に大々的に受け入れられた、記念碑的作品、と評価できる。
なお、今作公開の1995年は、新世紀エヴァンゲリオンの放映年である。
現在までの日本のアニメーションの全世界的流行につながる、90年代における象徴的作品、と言えようか。

今作は大友克洋による1988年の「AKIRA」同様、後世のSF映像表現に多大な影響を与えたことで知られる。
特に1999年の映画マトリックスは、今作の影響下にあることを、監督のウォシャウスキー兄弟自体が認めている。

攻殻機動隊は後に公安9課の活躍を描く形で「攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX」としてテレビアニメ化され、こちらもアニメファンから好評を博した。
監督は押井塾出身の神山健治。
その後もシリーズは続き、派生作品は多数に及ぶ。
また、今作自体も、何度かバージョンアップされている他、ハリウッドで実写映画化もされている(クレジット上は、原作コミックの実写映画化である)。


[見どころ]
世界観、ストーリー、音楽、声優の演技、アニメーションの表現と質感、セリフのカッコ良さ、人間の自我に関するテーマ性その他全てが見どころ。
アバンタイトルのカッコ良さは異常。
印象に残るシーンがあり過ぎる。
暫定邦画アニメーション最高峰。
一つ挙げるなら、アクションシーンか。
作画も演出も、神がかっている。
特に光学迷彩が用いられた全シーン!!!

[感想]
何度も見ているが、何年かぶりに鑑賞。
やはり、最高。

何がここまで私を惹きつけるのか。
ディテールの積み重ね。
かっこよさの連続的体験。

驚くべきは、時間が経過しても、そのカッコ良さは揺らがない、ということだ。
特にSF描写は、何年か経つと陳腐化しそうなものだが、今作には、それがない。

ひたすらディテールを味わうだけで、多幸感がある。
冒頭のビルの屋上から身を翻し、微笑む少佐。
光学迷彩を駆使した、香港風屋台街での追跡戦。
電脳ハックにより、記憶を書き換えられる恐ろしさ…etc…。

公開から28年。
いまだに、今作で味わった刺激を、追い続けてしまう。

[テーマ考]
今作は多層的なテーマを持つ作品である。
まずは、人間の意識とは、自我とは、何か、という問いがメインテーマであろう。
全身を義体化した主人公、草薙素子は、常に自分の存在について疑問を持ち続ける。
メンテナンスシーン、人間離れしたアクションシーン、休暇時の潜水シーン、電脳へのダイブシーン、公安9課が追う事件、そのいずれもが、潜在的な問いとしてまとわりつく。
人間とは?意識とは?どこまでが自分なのか?

やがて人形使いと言われる存在との邂逅は、素子と観客を、想像の地平へと誘う。
SF的には著名かつ普遍的なテーマだが、王道には王道の理由がある。

95年時点では、時代を先んじてやや難解ですらあったこのテーマは、すでにネットワークやAIが社会インフラと化した現代では、随分近く感じられる。
その結果、昔に比べて、草薙素子への共感可能性は上がっている、と言えるかもしれない。
自分探し、という文脈では、もともと時代に左右されない、とも言えるか。

SF的な設定を引き剥がしてみると、今作は、三角関係のラブストーリー、という見方が可能である。
健気に少佐を気にかけて、怠りなくサポートを続けるバトー!!!
その切ない片想い!!!
そのあまりにも残酷な結末!!!!

次作イノセンスの主人公がバトーであることには、理由があるのだ。
大塚明夫の名演も光る。

この件に関しては、作中でトグサが「あんなゴツいお姫様に、エスコートなんているのかねえ」と保守的なセリフを発しているが…。
そういう問題じゃねえんだよ!!!
オトコゴコロのわからん奴!!!
所詮てめえは世帯持ちだ!!!

なお、義体化をしていないトグサは、観客に最も近いキャラクターである。

[まとめ]
鬼才押井守による、日本アニメ史上に輝く、サイバーパンクSFの金字塔たる、時代を超えた傑作。

少佐と人形使いの、眼が印象的だ。
グレーテスト・眼球アニメ・オブ・オール・タイム。
GGoAT。