黒川

ジャンク/死と惨劇の黒川のレビュー・感想・評価

ジャンク/死と惨劇(1979年製作の映画)
3.2
観たことないんですけど、多分世界残酷物語ってこんな感じですよね。所謂モンド系作品。本作はなんというか、食人族をもっと細切れだけどちゃんとモキュメンタリーっぽくした感じというか、とりあえず作中でいっぱい死ぬ。そして俺は生きるぞ。

冒頭に映されるのは人体を解剖する光景。物言わぬ彼らの生に思いを馳せながら、とりあえず見る。解剖を終えた謎のドクターが「私は過去数十年死を研究してきましたが、みなさんにとっての死をいろんな死を見ながらもう一度考えていただきたい」的なことを言いながら、いろんな動物さんや人が死ぬところとか死体を見せられるよ。無理やり死を考えさせる方向に持っていくな、おい。埋葬のところルチオフルチの地獄の門の霊能者が生き埋めになるところかな?みたいな感じでモキュメンタリーだなーと思ってたら画質が悪いせいでその後のフェイクもそれっぽく見えるよ。でもメキシコのミイラに変なSEつけてビビらせるのは卑怯だと思います。普通にビジュアルが怖い。
最初に我々が見るのは娯楽として扱われ、また日々の糧として食べられる他の命。闘犬は片方が死ぬまで戦わされ、牛と羊は喉をかき切られ、首を跳ねられた鶏は暫くもがき苦しむかのように首のない胴体だけでのたうち回る。カナダの海岸沿いに上陸したオットセイは殴り殺され革を剥がれる。聖なる子猿は頭を殴られ脳みそを貪られる。現代のオートメーション化された屠殺場の死と、ある土地の部族が狩り、儀式的に与る食事にどのような違いがあるのかという問いだが、どちらも内容としては変わらない。我々は他の命に生かされているのだ。ただナレーションの通り、現代人は死から離れた場所で生きている。他者の死は我々には見えず、美味しくお肉を食べのみなのだ。死の上に我々は成り立ち、死者も生があるからこそ消費される。死は誰かの生となり分解され骨も残さず大地に還るのだ。それは神と同じ姿を持つ生き物として奢る人間にも平等に訪れる現象だ。
死は我々の目から隠されている。いや、我々が見ようとしていない、または目を背けたいのだ。だから一部の人間はこのような映画を見たがるのかもしれない。そんな我々にとって死は刺激だ。死にゆく動物を映したあとは人の死が大写しにされる。不慮の事故で命を落とす者、不注意で死ぬ者、罪を犯し死で償う者。人間は言語というツールを持ち合わせ、故に死という概念を他と共有し、それが何たるかを知るからこそ恐れる。人は死者が蘇らぬことも知る。だから自死を選ぶものもいれば、永遠の命を求め身体を医療の発達した後世に残そうとする者もいる。

なんか考えが纏まんないんですけど、メンタルやられてる時に見るもんじゃない。いや、やられてたからこそ色々考えるきっかけになったかもしれない。僕はこれ好きです。全然パッケージのアオリ文句と違うけど。一番怖いのはジャケ写のメキシカンミイラ二階調化したやつやんけ。観終わってスタート画面に戻ったときが一番怖い。他の映像は淡々と殺されすぎて段々慣れてくるっていうか、多分自然界だとそれが正解なんだけど、この人間界にいる以上はそういうのは異常だと認識されるんだなと思ったり思わなかったり。メキシカンミイラもわりと地獄みあって怖い。あとは物理的にフェイク動画撮ってるから今のCGよりも現実味があって良いですね。人間はフェイクでも動物さんたちは本物です。謎博士もベジタリアンにいっそなりたくなりますねとか言ってたけどそれでもお肉美味しいありがとう牛さん豚さん鶏さん!!

あとお笑いポイントですが、おばあちゃん暴行殺人電気椅子の人が"It's time"で連れて行かれるところで高須クリニック思い出して盛大に吹いた。あと凄惨な映像流しながらほのぼのBGM。
一番気になったのはところどころ字幕が全く言ってることと違ってて混乱すること。そんなこと言ってない字幕にバタリアンかよと突っ込んでしまったよ。あと93分て書いてあったのに110分くらいあったから短めだから観てみようと思うとまだあるってなるよ。
黒川

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