ぐりこ

24アワー・パーティ・ピープルのぐりこのレビュー・感想・評価

3.5

ファクトリーからハシエンダへ、マッドチェスター・ムーブメントの狂乱から終焉の顛末。仕掛け人のトニー目線で当時のムーブメントを振り返る、最高のUKロック史の教材だった。

始まりは1976.6.4のピストルズのマンチェスター初ライブ。主催はバズ・コックスで客は42人、トニー・ウィルソンの他に後のジョイ・ディヴィジョンであるワルシャワの面々やミック・ハックナル、モリッシー、天才プロデューサーのマーティン・ハネットなど後にマンチェスターの音楽シーンを担う若者が多くいた。

トニーは、マーティン・ハネット、ロブ・グレイトン、ピーター・サヴィル、アラン・イラズマスの4人と共にファクトリー・レコードを立ち上げ、ジョイ・ディヴィジョン、ハッピー・マンデーズ、ア・サートゥン・レイシオなどのバンドを送り出し一世を風靡する。

ドラッグが公然と売買され、また採算を度外視した経営ではあったが、カルチャーとしては快進撃を続ける。イアン・カーティスが自殺したジョイ・ディヴィジョンはニュー・オーダーとなり、トニー自身も離婚する中、転がり続けるファクトリーは1982年にハシエンダというナイトクラブをオープンする。

1983年にはニュー・オーダーの『ブルー・マンデー』が世界的なヒットとなり、またハシエンダがレイブカルチャーの中心として大盛況となる一方で、低い料金設定で酒類の売り上げも思わしくないハシエンダは赤字経営が続き、所属アーティストをコントロールできないファクトリーの放漫経営もあって、常に財政は火の車であった。
結果、1992年にファクトリー・レコードは倒産、その後も運営を続けたハシエンダも麻薬売買の場となり傷害事件が絶えず1997年に閉鎖となった。

太く短く危うく妖しいマッドチェスター・ムーブメントの顛末はとても美しかった。そして、トニーやバンドマン達はとにかくグダグダで最高なパーティ・ピープルだった。
(クスリ、ダメ。ゼッタイ。)
マンチェスターにいってロックの聖地を巡りたい…
ぐりこ

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