サマセット7

シンドラーのリストのサマセット7のレビュー・感想・評価

シンドラーのリスト(1993年製作の映画)
4.8
監督は「ジョーズ」「ジュラシックパーク」のスティーブン・スピルバーグ。
主演は「スターウォーズエピソード1/ファントム・メナス」「96時間」のリーアム・ニーソン。

[あらすじ]
1939年ポーランド南部の都市クラクフにて、ドイツ人のナチ党員オスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)は、第二次世界大戦の開戦とユダヤ人の財産没収を商機と見て、ナチス幹部に取り入り、ユダヤ人から没収された工場を格安で買い取って軍部や闇市に食器を売り捌く商売を開始する。
洒落者で女好き、俗物のシンドラーはユダヤ人の有能な会計士イザック・シュターン(ベン・キングスレー)を雇って工場の運営を任せ、ユダヤ人収容所(ゲットー)の工賃の安いユダヤ人労働者を雇い入れ、手段を選ばず利益を上げていく。
しかし、冷酷なナチ親衛隊アーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)がクラクフに派遣されるや、彼はゲットーを解体して、その場でユダヤ人を多数殺害する。ユダヤ人迫害は、シンドラーの工場に勤める者たちにも及び、シンドラーは対応を迫られるが…。

[情報]
第二次世界大戦中に、ドイツ人でありながら、1100人のユダヤ人を強制収容所から逃し、自らの工場労働者として守り切った実在の人物、オスカー・シンドラーを題材とした、1994年公開の作品。
ホロコーストを大々的に描いた映画の決定版と称されている。
エンターテインメント専業監督として、映画業界内で一段低く見られていたスティーブン・スピルバーグに、初のオスカーをもたらした作品としても知られる。

原作は、オーストラリアの小説家トーマス・キニーリーによるノンフィクション小説「シンドラーの箱舟」(アメリカ版の題名「シンドラーのリスト」)。

300万人ものユダヤ人が、ナチス政府により虐殺された歴史的惨劇であるホロコーストは、あまりにも凄惨な内容ゆえに、戦後長らく映画の題材としては避けられてきた。
特にハリウッドの主要なスポンサーであるユダヤ系の人々が、再びユダヤ人に対する迫害が再燃することを恐れた、と言われる。

ユダヤ系の血をもつスティーブン・スピルバーグ監督も、自らのもとに回ってきた今作の原作の映画化権を長らく寝かしており、自己の成熟と戦後40余年の経過を待って、初めて製作に踏み切った。
配給を仕切るユニバーサルピクチャーズは、題材ゆえに売り上げが上がるか憂慮し、スピルバーグがジュラシックパークを監督することを条件に、今作の配給を承認したという。
その結果、スピルバーグは、1993年に、ジュラシックパークとシンドラーのリストという、映画史上に残る二大傑作を上梓する羽目になった。

今作は、1939年から1945年の終戦にかけて行われたユダヤ人の迫害と虐殺を、195分かけて丹念に描く堂々たる大作であり、作中、目を覆いたくなる陰惨な描写が頻出する。
配信タイトルのレーティングはR18である。
ほぼモノクロ作品であるが、一部にカラー映像もある。
スピルバーグは戦時下の残存する資料映像が白黒であることから、伝記作品としてのリアリティの表現として、モノクロ映像を採用した、とされる。
多分、惨劇の映像の生々しさをモノクロにより抑えた、という意味もあったのではないか。

今作において、スピルバーグは盟友ジョン・ウィリアムスに音楽を任せ、さらに、後々多数の作品でタッグを組むヤヌス・カミンスキーを撮影監督に抜擢。
現在まで続く、映画史上最高のフィルムメイカーの基礎は、今作で完成した、と言ってよい。

今作は、公開当時、賛否両論を受けたようである。
主な批判としては、歴史的事実の歪曲、シンドラーが救済した人数や事象の過大評価、スピルバーグ演出による事実の伝説化、娯楽作品化、陳腐化、シンドラーがユダヤ人救済に至った理由が明示されないこと、いわゆる白人救世主ものの構造と受け取れること、などが挙げられよう。

他方で、今作は、現代の英語圏において極めて高く評価されている作品の一つである。
今作のインターネット・ムービーデータベースにおけるレーティングは9.0。
これは2023年時点で、全映画の9位に該当する。
rotten tomatoesにおける批評家支持率98%、一般支持率97%。
これらの数値はスピルバーグ作品中でもそれぞれトップ3には入る。

今作は、アカデミー賞で12部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、脚色賞、編集賞、美術賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞した。
今作は2200万ドルの製作費で作られ、世界興収3億2000万ドル超を売り上げた。
その結果、世界の大多数の人々はホロコーストの事実を、映像を通じて、初めて目にした、といっても過言ではない。

今作は、ドイツにおいて、ナチズム再発防止カリキュラムの必須教材になっている、とのことである。

2023年、今年は今作のアメリカ公開から30周年である。

[見どころ]
とにかく、スピルバーグは映画を撮るのが上手い!!
映画史上屈指の重く暗い題材にも関わらず、スピルバーグ演出によって、195分が長いと感じない!!!
これは、もはや神業である。
目を覆いたくなる、ホロコーストの現実の容赦のない描写!!
万人に、人間が社会規範によって、文字通り、「何でもする」ということを抉り出す。
シンドラーとゲート、という、ドイツ側に立つ二人の人物を対照することで見える、人間の善悪の境界の不確かさ。
人間について考えさせられる、深い深いテーマ性。

[感想]
いまさら、初鑑賞!!
大昔から、鑑賞予定でDVDは持っていたのだが、195分の長尺と重く暗い題材に腰が引けること十何年。
ようやく観ました!!
いやー、これは、全人類鑑賞必須の名作だわー(どの口が言う…)。

一見した感想は、思っていた以上に、観やすい作品になっている、ということ。
これは娯楽作品作りの天才スピルバーグ監督による演出に依るところが大きい。
重苦しいシーンに不相応の明るい音楽。
惨たらしいシーンに交差する、明るいシーン。
しばしば挿入される、シンドラーのコミカルな俗物描写。
そして、映画的抑揚の効いた、衝撃・悲惨・感動のジェットコースター!!!
さすがは当代最高のエンタメ・フィルムメイカー。
ここまで重厚な歴史伝記作品であっても、彼の手を経れば、娯楽作品として、すいすい観られる作品になるのだ。
これは、とんでもないことである。
今作に対する、歴史的な惨劇の娯楽作品化、という批判は、こうしたスピルバーグの娯楽映画監督としての天才性と表裏一体のものであろう。

他方で、今作は、トラウマレベルでホロコーストの悲惨を、描き抜いた作品でもある。
笑顔で行われるユダヤ人迫害!
衝撃的な、ゲットー解体のシーン!!
アーモン・ゲート率いるナチによる、人を人と思わぬ殺戮!!
そして、繰り返される選別…。
人間は、集団に同調すれば、どんな怪物にでもなれる、という、冷厳な事実が、これでもかと繰り返し突きつけられる。
このホロコーストの徹底した描写だけでも、今作は映画史上屈指の名作、という評価に値しよう。

さて、今作は、ホロコーストの事実を丹念に描くことと並行して、シンドラーというドイツ人の人間的変化を描く作品である。
シンドラーの対比として、ゲート少尉の揺れ動きもまた、克明に描かれる。

シンドラーは、一般的な善良な人間像とは、程遠い人物である。
そのことは、作中、執拗なまでに反復して強調されている。
彼は妻帯者にも関わらず大の女好きで、秘書の選別は能力よりも容姿重視。
嘆願に来た女性が地味な格好をしていれば黙殺し、美しく着飾っていれば自室に通す。
賄賂、闇取引、接待の達人で、金儲けのためなら、手段を選ばぬ金の亡者。
作中随一の悪辣なナチズムの権化、ゲート少尉すら、シンドラーは金の力で籠絡してみせる。

シンドラーがユダヤ人を雇い始めたのは、単にそれが、ビジネス上、コストが安くなるからにすぎない。
彼の右腕であるイザックが、ユダヤ人の同胞である身体障害のある老人や少年を工夫に推薦したと知って、シンドラーは激怒する。
彼には、人道的な理由でユダヤ人を雇う気など、毛頭ないのだ。

この時代、ナチス独裁下のドイツにおいては、ユダヤ人を迫害することが、法で定められた社会規範であった。
その意味で、ユダヤ人財産没収を利用して商売に精を出すシンドラーも、ユダヤ人を粛々と虐殺するゲート少尉も、社会規範に従っているにすぎない。
社会規範や集団心理に従えば、人間はどんな恐ろしいことでもできるのだ。

にもかかわらず、今作の終盤、シンドラーは、自らが苦労して蓄えた財産を投げ打ち、ユダヤ人たちを救出する。
シンドラー自身、ナチスに目をつけられたら、命の危険もあるというのに。

シンドラーの善性は、いかにして表出したのか?
今作は観客に問いかける。

他方、ナチスの権化、殺戮を繰り返すゲート少尉もまた、シンドラーの影響を受けて葛藤する。
映画史上屈指の悪辣さを体現する彼もまた、ただの普通の人に過ぎないことが、繰り返し示唆される。
女色と酒への逃避。
虚栄心。ユダヤ人のメイドへの執着。
ナチズムの規範から逃れられない彼は、シンドラーと表裏の関係にある。

シンドラーが、ユダヤ人を人間として見る契機を描くスピルバーグの手法は卓絶している。
モノクロで映し込まれる、次々と撃ち倒されるユダヤ人の群像の中で、たった一人、赤い衣を纏った少女。
白黒の映像の中、一際目立つ、赤。
見つめるリーアム・ニーソンの表情。
セリフによる説明はないが、ここが分岐点であることが、映像により明示される。
さすが、スピルバーグ、である。

たしかに、最終盤の劇的かつ爽快感すらある展開は、シリアスな題材に照らして、あまりにも娯楽作品的かもしれない。
とはいえ、このバランスこそが、スピルバーグ作品であり、今作を世界中でヒットさせた要因であろう。

全体として、さすがの名作であった。
全人類視聴必須の映画を3つ選ぶとすれば、今作はその一つに入るかもしれない。
私なら、今作でも印象的な助演を務めたベン・キングスレー主演の「ガンジー」も併せて挙げたい。
いずれも、人の善性を考える上で、大いに参考になる作品である。

[テーマ考]
今作は、人間が行った史上最悪の行為の一つであるホロコーストを真正面から描いた作品であり、人間がどこまでの悪をなし得るか、を描いた作品である。
その象徴する人物が、ゲート少尉である。
差別者が、被差別者を人間と思わなくなったときに、何が起きるか。
ユダヤ人である、というだけを理由にした無差別な殺人。
ゲットーの母親たちの目前で、子供たちがトラックに乗せて運ばれていくシーン。
アウシュビッツの地下に、子供連れの人々が一人また一人と入っていくシーン。
そのあまりの痛ましさ。

と、同時に、今作は、シンドラーを通じて、人の善性と勇気を描いた作品でもある。
シンドラーの勇気ある行動には、作り手の祈りに似た希望が込められているように思う。

オスカー・シンドラーという人物は、政治的信条よりも女と金儲けが好き、という、俗物中の俗物である。
そんな彼が、せっかく稼いだ私財をすべて投げ打って、粛清のリスクも負った上で、何故、1100人のユダヤ人を助けたのか。

スピルバーグは、赤い衣の少女を描くことで、シンドラーの善性の覚醒を演出した。
つまり、ナチスによる虐殺を直接目にしたことが、シンドラーの善性を引き出したのだ、と。
これは、こうであってほしい、というスピルバーグの願望であろう。

実際には、返報性の原理と、近接性バイアスで、シンドラーの行動は説明がつくかもしれない。
彼は、軍需産業に噛んで儲けようと企み、安価な労働力として、ゲットーに収容されたユダヤ人を雇い入れた。
特に会計士のイザックとは一つの事業を経営することで、民族を超えた友情を育んだ。
雇用と保護が同義の状況で、ユダヤ人たちは、感謝の言葉を繰り返しシンドラーに口にする。
あなたは、善い人だ、と。
そのたびに、シンドラーに、感謝の言葉に報いなければならない、という心理が働いたのではないか。
そして、4年間近い工場経営の中で、雇用主と被雇用者の間には、一定の人間関係が築かれる。
繰り返し近くで接していれば、人間同士、相手を優遇したいという心理が働くことは、自然な流れだ。

いずれにしても、私財を使い果たし、自ら命の危険を負ってまで、他者を助ける決断をするには、強い勇気が必要だったことだろう。
恐らく、大戦末期のドイツの状況に鑑みて、軍部とも親交が厚かったシンドラーには、敗戦とその後のナチス解体が読めていたであろう。
ひょっとすると、シンドラーには、敗戦後に軍需産業を元手にした私財を持っていても、連合国に取り上げられてしまう、という認識があったのかもしれない。
それくらいなら、自らの従業員とその家族を守るために、財産を使おうと思った、のかもしれない。

となると、むしろ、我々が真に賞賛すべきは、彼の「善性」よりも、時世を見極め、各方面にパイプを巡らせ、決めたことを実行する、その行動力、なのかもしれない。

シンドラーの行動は、誠に立派だし、賞賛されるべきこと疑いない。
しかし、彼が救えたのは、1100人(数字が過大、との批判もあるようだ)のみ。
作中でも語られる通り、リストから漏れた300万人の死という現実の前には、絶句せざるを得ない。

「一人を救うものは、世界を救う」とは、シンドラーが救ったユダヤ人から、彼に贈られた言葉である。
ユダヤ教の聖典の一句らしい。
救われた一人は、子孫を残し、やがて地を満たす、という意味があるんだとか。
この言葉は、その後もスピルバーグ作品の「救出もの」の一貫したテーマとなっていく。

[まとめ]
ホロコーストを真正面から描いた第二次大戦伝記映画の決定版にして、スピルバーグ監督の代表的傑作にして名作。

役者の演技も秀逸。
リーアム・ニーソンとレイフ・ファインズも無論のこと、ベン・キングスレーの演技が忘れ難い。
諦め、戸惑い、感謝などを、目と表情のみで雄弁に表現している。
リーアム・ニーソンはアイリッシュで、ベン・キングスレーはインドと英国にルーツがある、というあたり、俳優の出自にはさほどこだわりがなかった時代ならではのキャスティング、か。
今ならドイツ系とユダヤ系の俳優で揃えそうだ。