来夢

シンドラーのリストの来夢のレビュー・感想・評価

シンドラーのリスト(1993年製作の映画)
4.8
大きな波の中にいて、自分がその波の中にいることに気がつくことはなかなか難しい。
人気スイーツ、ラーメン屋の行列に並んでいる最中に、なんで自分は今ここに並んでいるんだろうって自問するようなもの。
そこから抜け出すのは更に難しい。もう1時間も並んで、次は自分の番だって時にやっぱり別の物食べようって列を抜けるようなもの。
戦時のことを例えるには些か不適切かもしれないけれども、こういうことはいつだって起こり得ることだってことで、自分が加害者側にならない為には、かなり注意しなければいけないし、もしかしたら運っていうのも必要なのかもしれない。シンドラーのようにね。
彼にとっては「労働力」として価値のあるものを奪われることが許せなかった。始まりはただそれだけのことだけれど、もともとユダヤ人にそんなに偏見がなかった彼にナチス党に対する不信感を抱かせるのには十分な理由だったわけで、もし彼の労働力がユダヤ人ではなかったら、彼もまた時代の波にのまれていたかもしれないね。
彼は元々ヒーローになるべくしてなった訳ではなく、ヒーローになれる環境を持っていたからヒーローになったってこと(勿論財力を得たのは彼の力だけれど)だと思うんです。ただ、じゃあその環境があったら誰でもヒーローになれるのかって言ったらそうじゃない。少なくとも自分の命を捨てる覚悟がなければいけない。もしくはそのリスクに気づかないか。この映画ではかなり後半になるまでシンドラーっていう人間に対して、ヒロイズムが欠如しているような描き方(実際そうだったのかな)をされていて、そこに彼の覚悟というものはあまり見えない。ただそうなるように進んでいったという事実があるだけで、シンドラーは自分の行動が命懸けであったっていう認識はなかったんじゃないかな。
自分にできる自分に必要なことをやっていたのが、そこに少しずつ感情が足されていって、の結果ってことだよね。
シンドラーはそれを天然でやれてきたけれど、最後の最後で気づいて自問する。
その部分こそがこの映画の観客が考えるべきことなんじゃないかな。
この映画に出てくる敵はナチスの上層部ではない。それらによって生じた社会、時代そのものだ。似たような敵はいつの時代にだって存在する。冒頭でも書いたように、そんな「敵」の一部に自分がなっているかもしれないってことに気づくのは難しい。
シンドラーの自問は今の時代の自分たちにも何らかの形で問うことが出来る、問うべきことだろう。
お金持ちじゃなかったとしても、ほんの少しの部分だけでもいいから、みんなが自分に問える世の中になったらいいのかもしれないね。
生々しいリアリティのある映像に、スピルバーグならではの映画としての美しさ。主人公を客観的に見せる手法。明確なメッセージ性。ただの実話ベースの戦争ヒーロー映画とは明らかに異なる名作と呼ぶにふさわしい映画だと思います。
来夢

来夢