どいたま

夜と霧のどいたまのレビュー・感想・評価

夜と霧(1955年製作の映画)
3.8
ナチスによるホロコーストの惨事を生々しい映像フィルムで振り返る、ドキュメンタリー作品です。第二次世界大戦の終戦から約10年後の1955年にフランスで製作された作品です。
まだまだホロコーストを扱う作品は少なかったようで、本作は当事世界に大きな衝撃を与えたそうです。


あまりにも悲惨で許し難い事実を描くがために、ホロコーストを扱う作品では、その「悲惨さ」をどう描くか、に力点が置かれます。
近年特に注目された作品として、『サウルの息子』が挙げられます。
この作品は、全編が被写界深度の浅い(画面の中心以外がぼやける)アップの映像で描かれます。その映像自体の圧迫感が、収容所で働かされる主人公の感じる精神的圧迫感を表現することに成功しており、表現と手法とが完全に一致している素晴らしい手法です。
また、この手法はレーティングによって残酷な描写が制限されている現代だからこそ生み出された手法だとも言えます。


では、本作『夜と霧』においては、どのような形で「悲惨さ」が表現されていたのでしょうか。

大量の死体の山、大量の人骨の山、病棟で治療も受けられずに亡くなった方の痩せ細った死体、焼却が追いつかず路上に転がったままの死体、並べられた首のない死体、首のない死体の横で無造作に箱詰めされた生首の山、ボロボロの死体を背中に担いで運ぶ労働者達の姿、、、

近年の表現規制に慣れている我々にとっては目を覆いたくなる程の、生々しい、現実の映像です。あまりにも現実離れした現実の映像です。

山と積まれた女性の毛髪が映し出されました。毛布にして売られたそうです。
箱詰めされた死体の映像がありました。石鹸にしようとしたそうです。

「悲惨」という言葉ですら、表現しきれない痛ましさ感じます。日本で1961年に公開された時には、一部のシーンがカットされたそうです。

中には気分を悪くされたり、精神的なショックが残ったりする方もおられる映像でしょう。
そういう意味では、こういう直接的な表現を避けて、できるだけ多くの人がこの惨事と、恐怖と向き合えるように調整している『サウルの息子』等の作品が果たす役割は大きいのだと改めて考えさせられました。

本作では最早、『サウルの息子』のように「悲惨さ」を表現する必要はありません。現実そのものが「悲惨さ」を超えているからです。観る人全員が目を覆いたくなる映像です。
ですがこの作品は、こういう映像だからこそ目を背けてはいけない、という強いメッセージをも同時に発しています。
本作で衝撃的な映像の数々と共に描かれるのが、終戦後のアウシュビッツの映像です。戦時中の映像がモノクロで撮影されているのに対し、この映像はカラーで撮影されています。
カラー映像により、アウシュビッツの美しさが際立ちます。青々と草が生い茂り、かつての惨事など無かったのではないかと思うようなのどかな風景です。まるで、「世界の人々がその惨事を少しずつ忘れ始めている」ということを象徴しているようです。
そこに、ナレーションが重なります。このナレーションでしきりに語られるのは、「そこでいかに残虐なことが行われたか」ということです。「今はのどかに見えるけど、そこは地獄だった」ということです。


白黒映像とカラー映像とを、過去と現在とをつなぐこのナレーションこそが、本作の鑑賞後にも私をアウシュビッツに引き戻します。
映像としての残酷さだけでなく、ドキュメンタリーとしての力強さも間違いなく備えた、優れた作品だと思います。
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