ずどこんちょ

キッドのずどこんちょのレビュー・感想・評価

キッド(1921年製作の映画)
3.5
近くのレンタル店のどこにも置いてなくて困ってましたけど、いつも通っている図書館にありましたよ!灯台下暗し。

ひょんなことから捨てられた赤ん坊を拾ってしまったチャーリーは、彼のことを育てることになります。それから5年。
貧しいチャーリーはジョンと名付けたその子供を、愛情を持って育てていました。
そんなある日、事情を知った孤児院がジョンを無理やり引き取りに訪れるのです。

チャップリンの喜劇に、子供との悲しく切ないドラマを組み合わせたら、傑作になるであろうことなんて見る前から期待できます。
当時としては喜劇に他のベースを組み合わせるというアイデアは画期的だったようで、今でこそ笑って泣ける映画は沢山ありますが、どうやらその先駆け的な存在だったようです。
映画史を開拓したチャップリンの偉業が分かります。先駆けにして、完成形とも言えます。この後に続く多くの笑って泣けるヒューマンドラマが、本作を教科書にしていると思えるほどストーリーが美しかったです。

チャップリンと子供のストーリーが展開するのと同じく、赤ん坊の頃のジョンを捨てた母親のドラマも並行して描かれていきます。
女は芸術家気取りの男に捨てられ、貧しかった彼女は一人では育てられずに涙ながらに赤ん坊を裕福そうな車の持ち主に預けるのです。経済的に豊かな家庭で育ててもらうことが、せめてもの救いであるかのように。
ところが、その車は直後に窃盗団に盗まれてしまい、赤ん坊は道端に捨てられてしまいます。その結果、放浪者のチャーリーが拾うことになったのです。

5年の月日が経ち、赤ん坊はすっかり大きくなっていました。
ジョンに窓ガラスに石を投げつけさせ、その直後にガラス売りに扮したチャーリーが通りがかってガラスを売るという、詐欺まがいの商法で日銭を稼ぐ二人。
現代のコンプラ的な目線で見れば決して正しいとは言えませんが、それはチャーリーが幼いジョンを相棒として認めていることでもあります。
時にはジョンがパンケーキを焼いて、ベッドでぐずぐずしているチャーリーを叩き起こしたりして、まるで本物の父子のような掛け合いです。

ジョンを演じたのは、名子役のジャッキー・クーガン。
子役の収益を親が浪費することを防ぐための法律、クーガン法の元になった子役です。彼の演じるジョンがとてもかわいいです。しかも、演技力もすごい。
特にジョンが孤児院に引き取られることになり、チャーリーと引き裂かれてしまいそうになるシーンでは本気で泣きじゃくり、小さな両手を必死になって伸ばして抵抗するのです。
サイレント映画なのでセリフも泣き声も喚き声も聞こえませんが、表情や仕草だけでその感情がひしひしと伝わってきます。
すごい演技力です。

一方、女性はその後、女優としてスターの道を駆け上がっていきます。華々しく成功した女性は、やがてかつての罪滅ぼしのように貧しい子供達に施しの活動を続けていくのですが、その活動を通して女性はジョンと知り合うのです。
彼女は目の前にある貧しい身なりをしたジョンが、5年前に自分が捨てた子供だなんて思っていません。きっと彼は裕福な家庭に引き取られていると信じ込んでいるのですから。

しかし、やがて彼女もジョンが自分がかつて捨てた赤ん坊だったことを知ります。
この5年間、自分が思い描いていた生活を彼がしていなかったという事実は確かにショックだったかもしれません。
穴の空いた掛け布団をそのままポンチョのように羽織るような貧しさですからね。

だからこそ、彼女は思い切って自分の身を明かし、彼とチャーリーを迎え入れるに至ったのでしょう。
警察に保護されたジョンは、チャーリーと共に豪邸に招き入れられて物語は終わります。この先、二人は一体どうなるのでしょう。
少なくとも彼女は子供を捨てたあの日から後悔を募らせており、チャーリーとジョンの関係を引き裂こうとは考えていない様子だけは伝わってきます。
想像が膨らみますが、ジョンの笑顔や音楽の調子からハッピーエンドであることが想定されるのです。

サイレント映画なので音楽の効果は絶大でした。
最後がハッピーエンドであることが示唆されるだけでなく、警官との追いかけっこでも音楽がドタバタ感を演出しています。
街角から初登場の少年が現れると同時に音楽が切り替わると、それだけでその少年がイタズラ坊主であることが分かるのも不思議。
イタズラ坊主を負かしたジョンにチャーリーが喜んでいるのも束の間、イタズラ坊主の後ろからイカつい兄貴が現れてチャーリーを脅迫するのも音楽の効果で随分と面白かったです。

クライマックス、一時的にジョンを奪われたチャーリーは自宅の前で夢を見ます。
これが謎のシーン。チャーリーや街の人たちが天使になって過ごしているのですが、そんな穏やかな街に嫉妬や誘惑といった悪魔の声が現れるのです。
聖書的な善悪を描いているようですが、天使は「子供を捨てる」という罪を"赦す"気持ちの表れなのかもしれないと思いました。
その直後、チャーリーはジョンを捨てた母親の女性と出会うわけですが、彼女を責めて、ジョンを奪い返すような様子は見られません。
映画はそこで終わっているので、その先はわかりませんが、あの天使のシーンがあったからこそ、チャーリーたちを迎え入れる女性と、それを受け入れるチャーリーの釣り合いが取れたのかもしれないと思いました。

チャップリン特有のドタバタ喜劇と、切ないドラマが融合した名作でした。
これが100年前の作品なんだから驚きです。