継

ミスティック・リバーの継のネタバレレビュー・内容・結末

ミスティック・リバー(2003年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

“市警の事件だが公園は州の管轄だ, 死体が中なら事件は我々(州警察)が扱う”

↑は、ショーンとパワーズが序盤に交わす、妙に説明的な会話。
ボストン市警(BPD)ではなく州警察のショーンが、故郷の事件に首を突っ込まざるを得なくなったのはケイティーが公園内で発見されたからでしたが、
これが伏線になっているからショーンは終盤、ジミーを裁けないのか?と解釈してた(=管轄外で越権行為に当たる)んだけど、違うんだろうか?
なにぶん、この辺りの事情に不案内なので間違っているかもしれないけれど、管轄について触れるのはこの会話だけで分かり辛い事から、“ショーンは何故ジミーを罰しないのか?!” と余計な誤解を招く温床になってしまっているように思えて、些細な事たけど残念な気がします。それにしたって過小評価な気はしますが😂。



ある事件を機に 別々の道を歩んできた3人.
セメントに名を刻んだあの日から止まったままの時間が
1人は刑事, 1人は容疑者, 1人は被害者の父親に姿を変えて
25年の歳月を経た今, 再び時を刻み出すー.

“あの日、車に乗せられたのが自分だったら...”
些細な “タラレバ” によって思わぬ方向へ転がり堕ちてゆく, 運命の綾。
「不思議だな、人生は何気ない選択で変わる」と愛娘の死を嘆くジミー。
音声解説では「話さなければ(人々は)忘れる」という、原作の台詞を紹介していました。

トラウマから殺人を犯し、それを隠そうと嘘を重ねて己を追い込んでしまう弱者, デイブ.
娘殺しを疑いデイブを殺め、誤解と知るも保身の為にダンマリを決め込む街の王様, ジミー.
罪を罰する立場で真相を見抜きながらも管轄でないから?か, ジミーを罰せないショーン.

ホッケーからセメントに名を刻むまでの一連の場面で、キーパーをやらされてるのが象徴する様に、気後れするデイブの性格の弱さをうかがわせ、
恋人ブレンダンと娘ケイティーの会話からは、怒ると手が付けられない父親ジミーの性分を伝える。

同僚パワーズ(フィッシュバーン)に “Divine (神の, 見抜く, 等の意味)” と呼ばれる、刑事となったショーンの帰郷とプライベートでは妻に出ていかれた問題を抱える近況を併せて観せる序盤が、登場人物の人となりを要領よく伝えてスマートでした。
ここから警官の制止を振り切らんばかりのジミーの慟哭までを起承転結の<起>とするならば、本作は<転>までを観せて<結>は描かず、観る者へ結末を委ねる形を取ります。
例えばジミーの罪をショーンが市警に示唆したり、幼馴染みとして自首を促す描写でもあれば、デイブは報われないままではあるけれど話は一応収まるのですが。。

視点/場面の転換が恐ろしくスムーズな群像劇です。
捜査の進展と共に少しずつ明らかとなる断片が、歪(いびつ)な街の素顔を晒していきます。
後出し的に明らかとなるレイ・ハリスの行方とジミーの罪、ブレンダンの弟レイと友人の罪、あの夜に犯したデイブの罪... 全てのパーツが出揃って漸(ようや)く全体像が見渡せるジグソーパズル。

真相を知りながら夫を庇(かば)い、守ろうと絆を深めるジミーの妻アナベスの強さと
真相を知らず夫が抱える心の闇も知らず、猜疑心から誤解して事もあろうにジミーに打ち明けて悲劇の引き金を引いてしまうデイブの妻・セレステの弱さの、妻同士の対比を良い悪いではなくただただ冷淡に描く残酷さ。
無言の電話で細々と繋がるショーンと妻ローレンが、夫婦の絆の何たるかを示すかのようでした。

あまりに自分本意なジミーとアナベス夫妻に憤りを感じるか、デイブとセレステ夫妻の脆弱な信頼関係・性格の弱さを責めるか、或いはジミーの犯行を確信するも職務を果たせずに復縁した妻子と幸せそうなショーンに怒りを覚えるか、、、受け取り方・解釈はコチラ次第。

十字架が印象的に映る劇中で “ディヴァイン” と呼ばれるショーンを文字通り神とするならば、その神が裁けぬ <罪> は誰がどう裁くのか?
作り手は、その辺り登場人物各々が背負う罪と罰を敢えて裁かぬまま締め括り、投げっぱなしジャーマンの如く観る者へ受け身を強いる。。

パレードで視線が合ったジミーに、指で銃口を向けるジェスチャーをするショーン。
ジミーの罪を確信しながらもレイ・ハリスの時と同じく確たる証拠は無く、市警が動こうが恐らく起訴は難しい。レイの時と同様に残されたセレステへ送金しようが、それが罪滅ぼしになるはずもなくて。
ケイティーの死因はかつてレイ・ハリスが所持していた拳銃によるもので、レイの血を引く子の犯行は偶発的とはいえ結果としてレイを殺したジミー本人へ跳ね返って来た格好になる。
自業自得?因果応報?カルマ?何でも良いけれど、作り手は偶然とも罪の報いともどちらとも取れる余地を残して <運命の綾>を描く。
ジミーが背負う十字架のタトゥー、偽警官が嵌めていた十字架のリング、キリスト教?カトリック?解釈に<宗教>が絡む余地を匂わす用意周到さ。事情に明るければ辻褄が合う宗教的解釈や隠喩に気付けるのかもしれません。

「この河に罪を沈め、洗い流す」
清濁を併せ呑んで汚れを希釈する河川の如く、罪を洗い流すかの様に進むパレードの隊列が皮肉たっぷり。
ミスティック・リバーとはボストンを流れる実在の河川ですが、どんよりと陰鬱なストーリーは書きかけの名が “ DA… ” のままコンクリートに固まった様に、あの日から止まったまま。何故デイブだったのか?そのやるせなさだけを虚しく残して。
継