サマセット7

ライオン・キングのサマセット7のレビュー・感想・評価

ライオン・キング(1994年製作の映画)
4.4
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオによる、32番目の長編アニメーション作品。
監督はロジャー・アレーズと、「スチュアートリトル」などのロブ・ミンコフのコンビ。

[あらすじ]
動物たちの王国プライド・ランドにて、王たるライオン、ムファサの子、シンバは、誕生にあたっては王国中から祝福を受け、父の薫陶を受けつつ平和に暮らしていた。
しかし、ムファサの弟ライオンであるスカーの陰謀により、ムファサは命を落とし、シンバはそれが自分のせいだと誤解したまま、王国から逃亡する。
シンバは逃亡先で、ミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァと知り合い、「ハクナ・マタタ」(くよくよするな)をモットーに成長するが…。

[情報]
1966年にウォルト・ディズニーが亡くなった後のディズニーの凋落の後、1989年のリトルマーメイド以降の隆盛期を、ディズニールネッサンス、と言うが、その最盛期である三作(1991年の美女と野獣、1992年のアラジン、1994年の今作)の掉尾を飾る作品。

今作は、アニメ映画史上屈指のヒットを記録した作品であり、観客動員数では、現時点でもアニメ映画史上最高、とも言われている。
ブロードウェイや劇団四季による舞台化の大ヒットや、2019年に高精度CGによる実写風リメイクがされたこともあり、もはや、古典、という印象すらある。

ジャンルは、動物アドベンチャー。
王家の者が一時王国を離れて身分を隠して旅をするが、やがて王国に帰還して本願を果たそうとする、といういわゆる貴種流離譚の構造を持つ。

脚本はオリジナルだが、ライオンによる王位継承、キャラクターの配置、動物の表現などが似ているとして、手塚治虫の漫画「ジャングル大帝」による影響が指摘されている。

製作側は、参照元の元ネタとして、シェイクスピアの戯曲「ハムレット」を挙げている。
たしかに、父から王位を奪った叔父への復讐譚、という構造や、死した父からメッセージを受ける点など、「ハムレット」を下敷きにした要素が多く見られる。

音楽はハンス・ジマー。
主題歌の「愛を感じて」はエルトン・ジョンが作曲し、歌唱も担当した。
今作のサウンドトラックは非常に評価が高く、アカデミー賞作曲賞、主題歌賞を受賞している。

製作費は4500万ドル。
世界興収は、10億6000万ドル超。
当時のアニメ映画の興収記録を塗り替える、メガヒットとなった。

今作は英語圏において、アニメーションの名作の一つとみなされており、一般観衆、批評家共に、トップクラスに高く評価されている作品である(IMDBのレイティング8.5、RottenTomatoes批評家支持率93%)。
他方で、日本では、「ジャングル大帝」との類似などが影響してか、映画としての今作単体の支持率は海外ほどではないように見受けられる。
とはいえ、劇団四季が1998年から現在に至るまで公演を続けるなど、屈指の人気コンテンツであることには日本でも変わりはない。

[見どころ]
90年代のディズニー・アニメーション特有の躍動感!!
研究を尽くした、ライオンたち動物の動き!!
動物たちが歌って踊る演出は、アニメーションならでは!!!
伝説的な曲の数々!!
サークル・オブ・ライフ!
準備をしておけ!
ハクナ・マタタ!
愛を感じて!!
ライオンをはじめとする動物たちがハムレットをやる、というキャッチーさは、天才的!!
ストーリーも超シンプルかつ普遍的!

[感想]
久々に再鑑賞。
大して思い入れもなかったが、いま観るとなかなか興味深い作品である。

日本人的には、二言目にはジャングル大帝ガー!!と言いたくなるが、冷静になるべきだろう。
手塚治虫も、ジャングル大帝の連載中に、ディズニーの「バンビ」を観て、強く影響を受けて、動物の王者の承継の話にしようと考えた、という述懐が残っているそうだ。
もともとジャングル大帝は、自然と人間の相剋の物語としてスタートしており、父と子の承継と父を追い落とした敵との戦いの物語となったのは、バンビ以降である。
要するに、東西の文化は、互いに影響を受けつつ円環している。
これぞ、サークル・オブ・ライフ!!

まあ、それでも一言リスペクトなり、影響受けたなり、正直に言えや、と思わないでもないが。
ディズニークラスのアニメーターが海外でも著名なジャングル大帝を知らなかった、などといった言い訳が通るとは思えない。
著作権ビジネス的に、口が裂けても言えなかったんだろうな、と推察される。
ディズニーがリーガルチェックしてないわけもないし。
万一文句を言われても言い逃れできる、金は払わない、という冷徹な判断の上でGOしたんだろうなあ…、大人の世界は怖い…。

一方で、下敷きになったことが明言されているのは、シェイクスピアのハムレット。
こちらは著作権フリーだ!無料バンザイ!!
たしかに、父、子、叔父の間の王家の復讐劇、という点や、父の亡霊が現れて重要なメッセージを残す点は、ハムレット的ではある。
ただ、ハムレットに関しては、オフィーリア絡みの復讐が生む悲劇の連鎖、という点もまた重要な構成要素だと思うのだが、今作では悲劇の連鎖要素はすっぽり省略されており、動物版ハムレットにしては片手落ちの感が否めない。

要は、ジャングル大帝とハムレットを換骨奪胎して、ファミリー向けにシンプルでハッピーエンドな貴種流離譚に焼き直した、というのが、今作のストーリーであろう(ご存知のとおり、ハムレットはゴリゴリの悲劇である。また、ジャングル大帝の結末は、「あの」手塚治虫先生なので…)。

むしろ、今作の製作経緯よりも、後世に与えた影響の方が、いま観ると興味深い。
ブロードウェイや劇団四季の大成功は、もはや、一つの文化を形成した感がある。
優れた音楽やシンプルで普遍的なストーリーも間違いなくあろうが、何よりも、「人体で、動物を表現する」という部分に、舞台版の面白さがあったように思われる。
キリンやらゾウやらが、衣装(!)と役者の動きで表現される、クリエイティブがもたらす面白さは、たしかに他では味わい難い(類似の成功作にCATSがある)。

振り返って見ると、今作の魅力は、まず第一に、動物たちの、手描きアニメーションによる、躍動感ある、キャラクターや動きの秀逸な表現、にあろう。
ディズニーはバンビやダンボ、わんわん物語の昔から、動物の動きのアニメーション表現に、偏執的なこだわりを見せてきた。
今作のライオンやハイエナたちの、イキイキとした動き!!
そうした動物たちが、人語でコミュニケーションをとり、歌まで歌う不思議さと面白さ!

だいたい、ライオンって、ゾウやキリンと並んで全人類が0歳児から読み聞かされる、最大のヒーローだ。
子供的には、そこらのぽっと出のディズニーヒーローやらアメコミヒーローとは、年季が違う。
我々が赤ちゃんの頃から知ってるライオンさんが主人公なんて、(子供心的に)アガるに決まっておろうが!!!
…それってジャングル大帝のやってたことでは、というツッコミも、堂々巡りのサークルオブライフである(もういいって)。
ハクナ・マタタ!

今作のもう一つの大きな魅力は、音楽にある。
作曲家は、ハンス・ジマー!
映画ファンには言うまでもなく、ディスコグラフィーが凄まじい。
パイレーツオブカリビアン!!
インセプション!インターステラー!
ダークナイトシリーズ!!
グラディエイター!
ミッションインポッシブル2!!
トップガンマーヴェリック!!!
天才すぎるぞ!!!
今作でも、アフリカンな民俗要素を取り入れて、独自の音世界を創り出している。
冒頭のサークルオブライフで、もうやられる。
有名なハクナマタタも、エルトン・ジョン作曲の最有名曲「愛を感じて」もいいが、個人的一推しは、スカー様が虎視眈々と歌いまくる、「準備をしておけ」!!!
ジェレミー・アイアンズ/ジム・カミングス版もいいが、壤晴彦さんの吹替版スカーも声質が良い!!

アニメで描かれる動物たちの「演技」が上質なため、シンプルなストーリーながら、感情が動かされる。
冒頭の祝祭感!!!
荒地より彷徨い出るハイエナたちの不気味さ!
父の表情から伝わる子への愛情!!
シンバが父を看取るも王国を追われて行く様の哀感!!!
亡き父の声を聞き、自らの「使命」と向き合う荘厳なる緊迫!!
ラストの一大バトル!!

今作は、ハムレット的なストーリーを動物で描く、という、寓話的な構造をとっているのだが、動物を持ち出したがために、設定に関して、色々と言われがちな作品ではある。
今どき、君主政賛美!??とか。
サークルオブライフとか言ってるが、要は食物連鎖なわけで、強者の都合の良い搾取構造では?とか。
スカーって、弱肉強食の世界ではありふれた、クーデター(下剋上)をしただけでは??とか。
ハイエナ差別だ!!!ステレオタイプ反対!!とか。

根本的な疑問は、なぜ、今作を動物たちの寓話で描かなければならなかったのか?という点である。
この疑問から、作中に出てくる「サークルオブライフ」というキーワードに深読みを施したくなるのだが…。
多分、動物たちの寓話で描いた1番の理由は、そうした方が売れるから!!!というものだろう。
子供に大人気のライオンを主人公にして、動物たちでハムレットをやったら、絶対売れるんじゃね?!!というノリだ。
もちろん、人間たちの復讐劇を(アニメにしても)人間でやると、生々しくなり過ぎて、大人向けになり過ぎるところを、動物に置き換えるとかなりマイルド「風」になり、子供達にリーチしやすい、という点も大いにあろう。今作のストーリーは、殺しあり、裏切りありで、実のところかなり殺伐としたものだ。
90年代で多様性やらポリコレやらが広まっていなかった中、製作陣は「動物に人間のようなドラマを演じさせる意味」について、現代ほど深く考えていなかったと思われる。
私の考えでは、サークルオブライフには、深い意味はなく、作中の「王権の正当性」を説明するための説話であって、それ以上でもそれ以下でもない。神が王権を与えた、とか、神の直系である、といった神話と同じ系列のものだ。

肉食動物と草食動物の共生を見事に多人種共生の寓話として作品テーマに昇華してみせた、「ズートピア」(2016)を観た後だと、なるほど今作の動物を用いたことによる寓話性は、浅い、とか、薄い、といった批判はできるかもしれない。
しかし、問題意識自体が希薄だった90年代の作品が、2010年代に普及した価値観に沿っていなかったところで、作品の価値が失われる、とは、私は思わない。

今作には今作の、普遍的なテーマがあり、それは現代でも重要なものだ。
そうした普遍的なテーマを読み取るところに、昔の作品を今見る面白さの一部があるようにも思われる。

全体として、発想といい、シンプルなストーリーといい、音楽といい、アニメーションといい、後に一大文化を巻き起こすだけの要素を持った、さすがの名作、と感じた。
90分にまとめ上げた尺も、心地良い。

[テーマ考]
今作は、人が内在化した「あるべき自分」になり、「なすべき事をなす」ことについて、逃避するか、対峙するか、を選択する葛藤を描いた作品である。
自己のアイデンティティや「使命」についての悩みと克服の物語、とも言い換えられる。
なすべきか、なさざるべきか、それが問題なのだ。

貴種流離譚の物語構造や、君主制の下での王権の承継は、このテーマを語る上での舞台装置にすぎない。
シンバは今作で、たまたま王の息子だが、その葛藤は、例えば地元の家業を継ぐべきか、継がざるべきか、それが問題だ、という悩みと、全く変わらない。
あるいは、一度入った会社から、転職すべきか、残るべきか、でも良い。
親が期待する大学進学をすべきか、せずに昔からの夢だった音楽活動に集中すべきか、でも良い。
もっと卑近に、今日の部活や仕事をサボるべきか、行くべきか、でも良い。

人は、人生のどこかで、自己のあるべき姿を、社会や周囲の人間関係から、規定される(ように認識する)ことが多い。
しかし、周囲の期待(あるいは、自分が認識しているハードル)を満たすことは、しばしば苦労が多く、不安も大きい。
そんな時、「ハクナ・マタタ」!!と笑い飛ばして、別の道に行くか、あるいは、「あるべき自分」を保つべく奮闘するか。

今作は、別の道に行くことも必ずしも否定しない。
ティモンとプンバァが提示してくれる、オアシスでの生活は、虫を食べる、という分を弁えれば、穏やかで幸せなものだ。
シンバの幸せを追求するなら、オアシスでの安寧が選ばれても良いのだ。
ハクナ・マタタ!!
このメッセージに救われる人も多いだろう。
シンバがそうだったように。
過去は変えられない!!
逃げたっていいのだ!!

では、選択にあたって、考慮すべきことは何か?
絶対の正解など、ありはしない。
両親や先祖から受け継がれた、自己のルーツ。
両親の教える、倫理。生きる道。
幼い頃紡いだ、夢。
自分と、他者の幸福。
特に愛するものの安寧。
どうしても、受け入れられぬ、不正が正されること。
過去のどうしても忘れられぬ、自らの罪の、贖い。
もちろん、健康と安全も。
様々な物事の流れから、「大事なこと」を自分で選び取り、納得いくまで悩んだ上で、胸に手を当てて、自分で決めるしかないのだ。
自分は何者か?
「なすべきこと」は何か?
それは、現在のオアシスの安寧を捨て、自らの命を賭して、血を流してでも、なすべきことなりや?

一度決したら、進むしかない!!

こうして考えると、今作のテーマは、極めて普遍的なものだ。
人生についての映画、といってもいいかも知れない。
2023年現在、絶対的なあるべき人生、などというものは、もはや存在しない。
全ての人が直面させられている、選択。
そんな風に観ると、今作はより面白い、かもしれない。

[まとめ]
90年代ディズニールネッサンスを代表する、人生における葛藤と選択を描いた、ライオン・アドベンチャーの名作。

好きなシーンは、スカー様の「準備をしておけ」熱唱シーン!!!
ハイエナの行進は、まんま、ナチズム!!
勝てば官軍。兄殺しだろうが、善政さえ施していれば、スカー様の帝国も安泰だっただろうに。
せっかく張り巡らした陰謀も、自らの怠惰によって水の泡に…。
…本当に、スカーは怠惰だったのか?
プライドランドが飢えと渇きに満たされたのは、単なる天候の問題では?
あるいは、ハイエナの移住が、食物連鎖のバランスを乱したことが問題だった?
それなら、スカーの計画は、最初から詰んでいる。
何にせよ、彼は彼で、自らの人生に立ち向かい、自分なりに葛藤を乗り越えて、あの選択をしたはずなのだ。
「鎌倉殿の13人」やら、「どうする家康」やら見ていると、世界観的に、どうにも彼を憎く思えないのである。