イルーナ

サルバドールの朝のイルーナのネタバレレビュー・内容・結末

サルバドールの朝(2006年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

フランコ独裁末期のスペイン。そこでは、自由を求める人々が、権力に反発する様々な活動を起こしていた。サルバドールも世の中を変えたいと願う、多くの若者のひとりに過ぎなかった。しかし、彼は活動資金を得るために仲間たちと銀行強盗を繰り返し、反体制の犯罪者としてマークされていた。ある日、彼は仲間との密会場所に張り込んだ警官に逮捕され、やがて死刑を求刑されることに…

日本ではスペインの独裁政権がいかなるものだったのかほとんど知られてないので、こういう映画が公開されるのは大変意義深いことだと思います。しかし、フランコ政権がどれだけ人々を長い間苦しめてきたのか、その説明が薄いのが惜しいです。そのため、日本では賛否両論なのは、反体制グループの一員であるサルバの活動を見ていて、(特に学生運動の時代をリアルタイムで経験された方には)「結局、若気の至りじゃないか、犯罪を犯しているんじゃないか」という具合に醒めてしまいやすいからではないかと思います。実際に、サルバは看守からお坊ちゃん呼ばわりされていましたし…

しかし、警官殺しの罪状も、サルバの発射した玉だけでなく、同僚の警官が撃った玉も当たっていたのです。冒頭にちらりと同僚の遺体から玉を拾い出すシーンがあったので、取り締まった警官もそのことは理解していたはずです。担当の弁護士は、そのことを主張し冤罪を主張するものの弁護側の証人は一切却下されてしまいました。おりしもそのころ、ETA(バスク祖国と自由)のテロにより、フランコの腹心であるカレロ・ブランコ首相が暗殺されるという事件が起き、みせしめのために死刑を求刑されるだろうということを悟ってしまう。同じ反フランコの立場の者たちによって追い込まれるという、大変皮肉としか言いようがない展開です。

後半、看守との交流が始まったころから、ぐっと人間ドラマに変わりました。そのきっかけはサルバドールが父に送った手紙を読んでしまったことからでした。一端は取り上げたものの、内容を見て感動し一気に彼の理解者に変わってしまったのです。その内容とは、素直に犯罪者として捕まったことを詫び、このような息子に育ててしまったと悲嘆してはいないか父親の気落ちを案じる内容だったのです。自分の正当性は一切触れていませんでした。サルバの父は、スペイン内戦時の活動家だったけれど内戦後に人が変わって猫をかぶったように隠棲してしまったのです。そんな父親をどこか裁いていたのかもしれません。二人の仲は、すっかり断絶していたのでした。

死刑を言い渡されてからは、不条理な死刑を何とか阻止しようとする仲間たちの友情と彼を気遣う姉妹のきずなの深さを見せつけます。刻一刻と近づいてくる死刑のタイムリミットに向かっていくシーンは、クライシスムービーといった趣で、緊張感がよく出ていました。何度もトイレに行きたがったりしたのも、もうすぐ死ぬという恐怖の表れでしょう。

そして処刑のとき、ガローテ(首に付けられた鉄輪をネジで絞めていくことにより、首の骨を折る)という残酷な処刑方法でサルバが死んでいくまでが、克明に描かれる。しかも、息が止まってもまだ脈があるのをみて、看守の同僚が「まだ生きてるのか」と言い放つ。死刑になった罪人はここまでゴミみたいに扱われるのか、人はここまで非常になれるのかと、ぞっとさせられました…それに対し、「フランコは人殺しだ!」と叫んだ看守が、わずかな救いでした。死刑囚であろうと、警官であろうと、死刑執行人であろうと、命の重さは同じ。殺してしまったら取り返しがつかなくなることは、そのものずばりと伝わってきます。公正な裁きと公正で明確な手続こそが、まずは確保されるべきなのです。サルバは公正な裁判を受けていなかった。公正な裁判によって下された刑に処せられたわけではなかったのです。死刑が国家による殺人である以上、それを正当化することはできませんが、少なくとも、公正性が確保できない裁判ではその結果(判決)も公正性を確保できるはずがない。

サルバの遺族は、今現在も再審請求をしているといいます。そう、真実は明らかにされるべきなのです。真実が明らかになったところで死刑によって絶たれた命は戻ってくるはずもないですが、同じ間違いを避けることはできるかもしれない。これは、遠い国での出来事ではないのです。過去の話だと、将来は起こりえない話だと、誰が言い切れるのでしょうか?
イルーナ

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