YasujiOshiba

ミーン・ストリートのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ミーン・ストリート(1973年製作の映画)
-
備忘のために

- マーティン・スコルセーゼのカメオ出演は知っていたけど、発作で倒れたテレーザを介抱しする近所のおばさんは彼の母親だったのね。その母親の姓は「カッパ Cappa 」で、これはハーヴィ・カイテルの演じるチャーリーの姓と同じ。

- イタリア版のタイトルは「Mean Streets - Domenica in chiesa, lunedì all'inferno」。日本語にすれば「ミーン・ストリート、日曜は教会に、月曜日は地獄へ」。たしかにそういう話だな。

- トニーの店の酔っ払い役のデヴィッド・キャラダイン。トイレで撃ち殺されるだけの役なんだけど、なかなか死なないところがキャラダイン。ほとんどゾンビかと思っちゃうほど印象的なんだけど、この映画の直前に同じスコルセーゼの『明日に処刑を』(1972)に出演してるんだね。未見なのだけど、あの低予算映画の帝王ロジャー・コーマンの制作。これ見なきゃね。

- 舞台はニューヨークのリトルイタリー。時期は9月の半ば。どうしてわかるかといえば、映画のなかに描かれていた「聖ジェンナーロ祭 Feast of San Gennaro」が行われるのがその時期だから。
 9月といえば、スコルセーゼが影響を受けたというフェリーニの『青春群像』の時期と同じ。夏のヴァカンスが終わり、人々は仕事に戻り、学生には新しい学期の始まり。ところが相変わらずで、なにも始めようとしない奴らがいるという話。
 チャーリー(ハービー・カイテル)は、そんな『青春群像』のモラルド(フランコ・インテルレンギ)のような位置かな。いつも少し冷めていて周りを観察している。まわりの仲間とは違って、まっとうな道を進もうとするところなんかも似ているかもしれない。
 だとするとジョニー・ボーイ(デ・ニーロ)は誰なんだろうか。アルベルト(ソルディ)のようでもあるし、ファウスト(フランコ・ファブリーツィ)のようでもある。
 フェリーニはそんな連中を「ヴィテッローニ」と呼んだわけだ。体だけは大きくなっても、なかみはまだまだ子どものままで、いつまでもフラフラしているのらくら者たちということ。
 実のところ、そんな「ヴィテッローニ」はどこにでもいる。イタリアの地方都市にだって、アメリカのリトルイタリーにだって、世界中のいたるところに見ることができる人類学的な現象なのかもしれない。
 だとすれば、この現象を映画に撮って、ひとつの詩学にまで高めて見せてくれたスコルセーゼは、やはり、只者ではなかったというわけだ。
YasujiOshiba

YasujiOshiba