ずどこんちょ

ミセス・ダウトのずどこんちょのレビュー・感想・評価

ミセス・ダウト(1993年製作の映画)
3.9
ロビン・ウィリアムズ大好きだし、本作が名作中の名作ということも知っていましたが、遅ればせながらようやく初鑑賞です。

まず冒頭のアフレコシーンからロビン・ウィリアムズの芸達者ぶりが発揮されて圧倒されます。
一人で2匹のキャラクターを使い分けながら声色を使い分ける主人公のダニエル。これがのちに本当に声を使い分けて生活する男の物語の始まりです。

離婚によって子供と一緒に暮らす時間を奪われたダニエル。週に一度の接見では足りません。子供に対する愛情が深いダニエルはなんとかして子供たちと接する時間を増やそうとします。
そこでダニエルは非常識かつ大胆なアイデアを思いつきます。元妻ミランダが募集していた家政婦として雇われる計画を立てるのです。
特殊メイクを得意とする親戚の手を借りて、完全に60代の老婦人に変装したダニエルは、持ち前の声色を変える演技力で家政婦ミセス・ダウトファイアとして採用され、子供たちの子守りと家事を担うのです。

ロビン・ウィリアムズがとにかくすごくて、ミセス・ダウトファイアとダニエルの声色を完全に使い分けます。声色だけでなく、ミセス・ダウトファイアになっている時の喋り方や動き方もしっかり女形として演じているのです。
こんな大胆な計画が実現できたのは、確かに家族ですら見分けがつかない特殊メイクの効果もあるのでしょうが、それ以上にやはりダニエル自身の演技力、つまりロビン・ウィリアムズの卓越した表現力の賜物です。

あと文句なしに面白い。
特に家庭訪問員が来た時のドタバタ交代劇と、夢を掴むための社長との懇談会と一家の食事会が同じレストランでダブルブッキングしてしまった時の奮闘劇は、なんか似たようなトラブルを繰り返してますがやはり笑えます。
コメディアンであるロビン・ウィリアムズの真骨頂が楽しめます。

ダニエルは家政婦として稼働している時、完全にミセス・ダウトファイアになりきっていて、これまでは子供たちと一緒にいても遊んでばかりだったダニエルが、子供たちが楽しんでいたテレビを消して宿題に向かうよう注意したり、時には厳しく接したりと家政婦としての嫌われ役も果たすのです。
だから子供たちも一切気づきません。ダニエルとはまるで人格が正反対なのですから。

ところがある日、ミセス・ダウトファイアは立って小便をしている所を長男に目撃それ、長男と長女には正体がバレてしまいます。
一瞬で男の声色を取り戻し、その声を聞いてミセス・ダウトファイアが愛する父だと気づいた時の子供達の反応が印象的でした。困惑から、父親が家に帰ってきているという喜びへ。子供たちにとってダニエルは変わらず愛する父なのです。

結局、これまでのダニエルは子守ではなく、子供たちと同じ立場で遊んでいただけでした。
離婚の直接的なきっかけとなった長男の誕生日もそうでした。仕事で出世して忙しくなったミランダが留守にしている間に、移動式小動物園を自宅に招き、近隣の子どもたちを集めて長男の誕生日パーティを開くダニエル。騒音騒ぎで警察が駆け付けているほどなのに気にせずダニエルは子供たちと一緒に踊っています。
その後片付けや、近隣住民への謝罪など社会常識的な処理はミランダが尻拭いをさせられてきたのです。

もちろん子供たちへの愛情はたっぷりなのですが、仕事も安定せず、家庭のこともせず、日々やりたい事を後先考えずにやっていただけ。保護者たる父親としての機能を果たせていませんでした。
ミセス・ダウトファイアとして家に入ってからは、掃除に食事の準備に、そして子供達に宿題を教えたりと、家庭の一員としての役割を果たし始めるのです。

離婚裁判で言い渡されたのは、暫定的な養育権はミランダに属するものの3ヶ月後の再審の時にダニエルがどのような生活をしているかで判断するというものでした。
安定した仕事、子供たちが暮らせる住環境、家事育児の力。
家政婦としての力をつける事で、自身の自宅の家事もできるようになります。それは養育権見直しの一つの基準でもあり、まさに一石二鳥だったのです。

そして何より、ミセス・ダウトファイアが家事を担っている間、一家は幸せでした。
稼ぎ頭のミランダが疲れて帰って来た時に、家の中のことが片付いています。子供達も勉強に向かっている。ダニエルに苛立ち、しばらく笑うことも忘れていたミランダに訪れた心の平穏でした。
家の中のことと仕事のことは繋がっています。どちらかが傾けば、もう片方も傾きやすい。両立できて初めて精神的にも安定できるのです。ミセス・ダウトファイアが果たした役割は家事と子守だけでなく、一度崩れた家庭の再生だったと言えるでしょう。

結局、3ヶ月後の再審ではより縛りのある判決が下されてしまうのですが、やがてミランダはこの家にミセス・ダウトファイアが必要だということ、そしてそれはつまり子供たちにとって父親が必要だということを心から感じることとなるのです。

最後のメッセージが心に響きました。
テレビ局の社長に認められたダニエルはミセス・ダウトファイアというキャラクターで教育番組を任されるようになります。
番組に投稿された視聴者からの悩み相談に答えるダニエル。それは両親が離婚した子供からの質問でした。ダニエルは様々な家族の形があること、それでも子供たちが愛されているということは変わらないのだということを強く訴えるのです。
「愛がある限り、あなたたちは繋がっている。家族って、心と心で結び付いているのよ。」

ダニエル自身、今はまだミランダとの再婚は考えていません。二人とも離れていた方が自分を好きでいられると思っています。
それでも子供たちを思う愛情や、家族の繋がりは消えたわけではありません。正確には一度は見失いましたが、今ではそれぞれ果たすべき役割があって心から存在を認め合っています。
ダニエルには子供たちが必要で、子供たちには両親の存在が必要。家族とは離れ離れになっても結び付いているものなのです。
こんな素敵なメッセージが最後に投げかけられたことが、本作が名作たる所以だと感じます。

最後に、ミランダに近付いて家族を横取りしようとしているビジネスマン、スチュワートがとてもいけすかなかったです。
ミセス・ダウトファイアになったダニエルが劣等感を感じて高級車のエンブレムを取り外したり、背後から果物を投げ飛ばしたりするのも無理もありません。ちゃんといけすかない。
でも最後にそいつを助ける事になるというエピソードが粋な展開でした。